Pick up Athletes Vol.2

未開の荒野へ――。歩みを止めない世界王者(後編) 〜ロンドンへ続く、勝利への意思〜

日本車いすテニス界初の、プロ転身にかける思い

輝かしい成績をおさめ、世界ナンバーワンに君臨する国枝慎吾。そんな彼が、次なる舞台に選んだのは――。

2009年のジャパンオープンでは、強烈なフォアハンドで相手を追い込んだ=福岡県飯塚市筑豊ハイツ
2009年のジャパンオープンでは、強烈なフォアハンドで相手を追い込んだ=福岡県飯塚市筑豊ハイツ

4月13日、彼は岸記念体育館にスーツを着て現れた。自身の「プロ転向」の記者会見のためである。テレビカメラ8台、50人以上の報道陣の前で、国枝はこう口を開いた。

「テニス一本で生活していくことは、厳しい道と覚悟しています。しかし、それを成し遂げられたら、障害者スポーツに携わる多くの方々に夢を与えられるのではないかと思っています」

プロの車いすテニスプレーヤーという選択肢は、2006年にUSオープンで優勝し、はじめて世界ランキング1位を獲得したころから考えていたという。その後、史上初のグランドスラムを達成し、さらに北京で頂点を極めたことで、それは現実味を帯びた。そして、昨年12月、職員として働くと同時に、年間300〜400万円の遠征費負担など競技面のサポートを受けていた麗沢大学を辞め、第一歩を踏み出した。

世界の一流のプロ選手が所属する、大手マネジメント会社と契約

国枝はプロのアスリートとして、テニスのナダルやフェデラー、ゴルフのタイガー・ウッズらも手掛ける大手マネジメント会社IMGと契約。また、麗沢大学がパッチスポンサーに、ダンロップとは用具契約が決まり、他の企業とも交渉が進んでいる。

満を持しての、再スタート。ただ、その国枝といえども、車いすテニス界で日本人選手としてはじめてプロ選手になることに、不安がないわけではない。記者会見時の報道陣の数が、人々の期待の大きさを代弁しているように、今まで以上に「結果を出すこと」が求められる。

「スポンサー探しも、本当に自分がしっかりとお金が獲れるだけの価値があるのか、と先人がいないだけに、怖い部分はありますよね」と、国枝は正直な胸の内を語る。しかし、その心配をはねのける強さがなくては、前には進めない。

「まあ、何かをはじめるのに、必ずリスクは伴うもの。それを含めて、今は“楽しみ”のほうが、上回ってますよ。プロになって変わった点といえば、街で声をかけられることが多くなったので、あんまり変なことはできなくなっちゃったことかな」と、笑顔で切り返す。

→次のページへ

関連記事

↑ページの先頭に戻る