Pray for JAPAN, Writer's eye — 2012/3/14 水曜日 at 15:14:38

【Writer’s eye】東北魂を胸に闘う、石巻出身のブラインド選手

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震災から1年。ドッグレッグスの興行「ジンテーゼ」で無差別級王者となったブラインド・ザ・ジャイアント(写真右)/撮影:吉村もと

3月10日の夜、全盲のレスラー、ブラインド・ザ・ジャイアントは、北沢タウンホールのリングに上がった。障害者プロレス「ドッグレッグス」の興行に出場するためだ。

190cm、120kgの巨大な肉体。研ぎ澄まされた感覚で相手を捕らえ、その後、柔道で磨いた足技を仕掛ける。相手が倒れ込んだところで馬乗りになり、フェイスロックで絞めつけたり、極太の腕を降り下ろして相手の胸を強打したりして攻撃する。この日も、ブラインド・ザ・ジャイアントは、圧倒的なパワーでふたりの「健常者」をねじ伏せた。

再起への道

「急に失業し、再就職への道も険しかった。でも、この状況を変えるにはじっと待っているだけじゃダメなのではないか。そう考えて石巻から参戦しました」。約6年離れていたリングに再び上がろうと思ったのは、東日本大震災がきっかけだった。半壊した実家近くの河川敷でジョギングを始め、10月の復帰第1戦でまず1勝。震災後に支えてくれた多くの人への感謝を胸に闘った。

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圧倒的な肉体で相手を押え込む

この日は、2戦を闘い、無差別級チャンピオンの称号を手に入れた。「前回、体力不足を痛感したので、今回はプールに通って臨んだんですけど実践練習が足りていない。まだまだですね」とは本人の弁。「でも、学生時代のグランドソフトボール、ブラインドサッカー、柔道と多くの大会に出場してきたなか、タイトルをとったのは初めてなので、正直言うとうれしい」と、続けた。

不安な日々

2011年3月11日、東北地方を最大震度7の地震が襲った。そのとき、沿岸部にある渡波地区の職場にいた。マッサージ師・針灸師として、治療院に勤めていたのだ。ちょうど次の患者の治療まで待機しているところだった。

体験したことがない、大きな揺れ。壁棚を掴んで、ふらつく体を必死に支えた。「津波が来ますよ! 避難しましょう」。いったん揺れが収まると、すぐに同僚に手引きされ、約50m先の市役所支所に身を寄せた。約15分後、「水が来た!」と誰かが言った。じわじわと水が近づいてくるのを感じた。支所の2階に上がったが、“逃げられない”恐怖を感じ、周囲の人に並べてあったパイプ椅子を片づけてもらった。重油のにおいがし、船が建物にぶつかる音がした。携帯電話の電源を入れては消してを繰り返した。自宅にかけてもなかなかつながらない。友人から着信があったが、通話ボタンは押さず充電が切れないように祈った。いつでも避難できるように靴は履き、白杖も握ったまま一夜を過ごした。雪が降るほど寒い夜。余震が続く。胸ポケットに入れていた携帯ラジオで東京のAM局の電波を受信し、震災の状況を確認した。ラジオからは途切れ途切れで小沢健二の「強い気持ち・強い愛」が聴こえた。リスナーが被災地をおもってリクエストした曲だ。みんなが応援してくれているんだ。そう思うと、少し前向きになれた。

石巻の内陸部にある実家に戻ったのは、翌日の夕方。働く場は失ったが、命は助かった。家族で身を寄せ合い、臨月だった妹の母子を守ろうと、給水所を往復する日々が続いた。

「そんなときに、ブラインドサッカーとかスポーツで出会った方々が支援物資を送ってくれました。石巻まで足を運んでくれて、仕事を探してくれると言ってくれた方もいた。本当にありがたいことですよ」

さらなるチャレンジを

あれから1年。今年2月に上京し、現在は都内の企業でヘルスキーパーとして働く。パラリンピックを目指していた柔道の練習はしていないが、9年前に出合ったブラインドサッカーを再び始めた。機会があれば、プロレスの興行にも出たいと考えている。

「震災後、もやもやとしたおもいで過ごしていたときも、柔道とかスポーツで鍛えた経験があったから、精神的に崩れないですんだのかなと思うんです。だから、これからもスポーツに限らず、いろんなことにチャレンジしていきたい。地元・石巻にも元気を届けられたらうれしいです」

(取材・文/瀬長あすか)