夏季競技, 自転車 — 2012/8/22 水曜日 at 16:04:03

【LONDONプレビュー】パラサイクリング・藤田征樹「もう一度、パラリンピックの表彰台へ」

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「すべての面でレベルアップした」と言う自信をもとに、ロンドンでのメダルを狙う(4月、立川競輪場で行われた記録会にて)(撮影/吉村もと)

4年前の北京パラリンピック。藤田征樹(チームチェブロ/日立建機)は1キロタイムトライアル(LC3/両足義足など機能障害のクラス)で2位になった。日本選手団のメダル第1号となる銀メダルの誕生に湧き、報道陣が藤田を囲んだ。

だが、金メダルを取ることができなかった藤田に笑顔はみじんもない。「自分の力不足です」。うつむき加減で肩を震わせながら、ようやく声にならない声を振り絞った。

藤田は2日後の3キロ個人追い抜き(LC3)でも銀メダルを獲得した。予選で3分52秒253のワールドレコードをたたき出して会心のガッツポーズ。だが、その直後に、金メダルを獲得したサイモン・リチャードソン(英国)に記録を塗り替えられた。

続いて、ロードでも3位となり、大会を通して計3個のメダルを獲得。いい思いと苦い思いが残る初めてのパラリンピックだった。

「1キロタイムトライアルは大失敗でした。スタートの瞬間、『あっ、失敗した』と思いました。負けたのが悔しいというより、周りの選手の走りに動揺した自分に腹が立ったというか。結果的には銀メダルでしたが、自分が考えていたタイムは出なかったし、全然納得できませんでした」

パラリンピックの借りは、パラリンピックでしか返せない。北京で自らの力を出し切れなかった藤田は、4年後に向けて再び走り出した。

「北京では経験の浅さ、弱さが出た。北京のようにならないように、どうしてああなったのかを考えて、海外のレースに臨むようになりました」

義肢装具士と二人三脚

トライアスロンに夢中だった大学2年のとき、藤田は交通事故で両足の膝下を切断した。だが、事故後、再びトライアスロンに挑戦することに迷いはなかった。鉄道弘済会・義肢装具サポートセンターを訪れ、トライアスロンのための義足を依頼した。そのとき、ランニング、スイム、そして自転車用の3種類の義足を製作したのが、現在も藤田の義足を担当する齋藤拓さんだ。世界を見渡しても例がない、両足切断の選手の自転車用義足作りには特に苦労したが、試行錯誤の末に完成。その義足で、藤田は合計226キロの過酷なトライアスロンのレースを完走した。

藤田の自転車用義足を担当する義肢装具士の齋藤拓さん(鉄道弘済会・義肢装具サポートセンターにて)

トライアスロンの選手として大会に出場しているうちに、パラサイクリングの存在を知った藤田は、国内の大会に出場し、関係者から熱心な誘いを受けて本格的に自転車競技を始めた。2007年にUCI(国際自転車競技連合)世界選手権初出場。現在はパラリンピックチームのエースといえる存在にまでなった。

パラサイクリングには、片足でペダルを漕ぐ選手、義手を使用する選手など様々な選手がいる。

義足の選手は、義足の底とペダルを固定させて走る。つまり、義足は選手と車体を一体化させるものだ。「自転車のフレームと人の足、その中間になるイメージで仕上げます」と義肢装具士の齋藤は話す。

自転車の義足はすべて手作り。藤田の義足はペダルを踏み込んだとき、力が分散しないように、馬のひづめとも見える形になっている。人の足に倣って作られている一般の義足では、つま先の部分にたわみがあり、力のロスが生まれるからだ。また、両足義足でペダルをこぐ負担を軽減するために、カーボンやチタンを使う。ロンドンを走る義足は、北京のものよりも軽量化を図りながら、強度が増すよう工夫が重ねられた。

全幅の信頼を寄せる齋藤に「義足はすべてお任せです」と藤田は言う。

齋藤が作ったものを藤田が実際に装着して自転車をこぎ、繰り返し微調整していく。時に、齋藤は合宿や大会に出向き、細かい注文に応える。根気のいる作業だ。

齋藤は言う。
「藤田君は自分に厳しく、絶対に言い訳をしない。真っすぐに取り組んでいる姿を見ると、僕も妥協できない。彼が目指すところまで、とことん付き合っていきたいと思います」

ロンドンではメダルを「すべての面でレベルアップ」

09年、UCIパラサイクリングトラック選手権の1キロタイムトライアルで藤田は、北京でマークした自己ベストを約2秒縮める1分15秒307で優勝。自転車選手の夢であり、優勝者のみに与えられるジャージ・アルカンシエルを手にした。

北京でのメダル獲得も「納得できなかった」と語った藤田(パラサイクリング強化合宿=伊豆ベロドロームにて)

だが、この翌年の10年から、障害のレベルなどによって区分されるクラス分けの規定が変更となり、いくつかのカテゴリーが統合された。ロンドンパラリンピックの1キロタイムトライアルにおいては、メダルの数を減らして競技性を高めるために、複数のクラスが統合されひとつの金メダルを争う仕組みになり、藤田にとって厳しい条件となった。またプロ化が進むヨーロッパの選手たちが驚異的な記録をマークし、日本はパラリンピックの国別出場枠獲得でも苦戦を強いられた。

その一方で追い風も吹いた。日本国内では北京後、ナショナルチームの体制が一新されたことで、五輪チームとパラリンピックチームの連携がより深まった。オリンピックチームと同じ場所で練習をすることで、「ナショナルチームの一員という自覚を持たなければ、という気持ちが強くなった」(藤田)。また、日本自転車競技連盟からのサポートが増えたことに加え、昨年秋、伊豆に日本初の屋内板張り型250メートルトラックが完成し、練習拠点ができたことで強化合宿がスムーズにできるようになった。

藤田はロンドンパラリンピックでは4種目にエントリーする予定だ。クラス分けによる影響が少ない3キロ個人追い抜きでメダル獲得を狙う。
ただ、世界のトップ選手の記録と藤田の記録を照らし合わせると、自己記録を更新しなければメダル獲得は難しい状況だ。

「レース中のラップは安定してきたので、あとは終盤仕掛けられるようにスタミナをつけたい。筋力も、コーナーなどの技術も、経験もすべての面で北京のときよりもレベルアップしているし、それが自信にもなっている」。北京後、鍛練を続けてきた藤田は、フォームの修正にも取り組んできた。姿勢を意識するだけでなく、ストレッチを念入りに行うことで股関節の柔軟性を高めた。可動域が広がったことにより、筋肉の動員を広くしてこげるようになった。「ここにきて楽な姿勢でこげるようになってきた。あとはどれだけ仕上げられるか。完成度を高めて臨みたい」

目標は、もう一度、パラリンピックの表彰台に立つこと。

「今はどきどき、わくわく、不安、楽しみ……いろいろな気持ちが入り混じっています。厳しい大会になると思うけど、苦しいレースをして、喜びたい。このためにやってきたから」

4年間待ちわびた舞台が、いよいよ幕を開ける。

※この記事は、8月22日~9月19日の期間中、「YAHOO! JAPAN ロンドンオリンピック・パラリンピック日本代表応援キャンペーン」特設サイトで掲載されたものです。

(取材・文/瀬長あすか、撮影/吉村もと)