夏季競技, 柔道 — 2012/8/22 水曜日 at 16:22:32

【LONDONプレビュー】視覚障害者柔道界の大型新人・正木健人「全試合一本勝ちで金メダルを」

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大正大学で行われた合同練習で汗を流す正木(撮影/吉村もと)

「表彰台の真ん中で君が代を聞いたときは、やっぱりジーンときました。それはもう、なんとも言葉にはできない快感でした」

2011年4月、トルコで開催されたIBSA(国際視覚障害者スポーツ協会)世界大会。柔道競技の日本代表として男子100キロ超級に登場した正木健人(徳島県立盲学校)は、初戦からすべて一本で勝ち上がり、決勝の畳に上がった。開始16秒、アゼルバイジャンのイルハム・ザキーエフを相手に、払い腰で一本。08年北京パラリンピック、10年世界選手権覇者を破る金星を挙げ、各国の選手・関係者らの度肝を抜いた。

「大会の最後の試合で、ずっと世界大会で勝っていた選手を倒したからかな。いろんな人が声をかけてくれて、自分でもびっくりしました」

驚くべきは、これが正木にとって初めての国際大会出場だったことである。なぜなら、視覚障害者柔道を始めたばかりだからだ。しかも100キロ超級は、現在、日本国内では対戦相手がいない階級だ。視覚障害の選手と試合を行うことは初めてという正木だったが、緊張はほとんどなかったという。

「会場もそんなに大きくなかったですし、いつも国内で試合しているような体育館という印象。まあ、視力がよくないですから、昔から大会の雰囲気とか気にすることはなかったですけど。それに、外国人選手と対戦することも慣れているので、おじけづいたりすることもありませんでした」

191センチ、150キロの正木は、視覚障害を持ちながらも柔道の名門、天理大に入学し、健常の選手とともに稽古に励んできた。大学時代、「日本に練習に来ていたフランスやドイツのナショナルチームの人たちと乱取りをさせてもらっていた」と言い、外国人選手のパワーも熟知している。強豪にもまれてきた経験があるから、国際大会でも冷静に試合を展開することができた。

柔の道を突き進んだ青春

正木は生まれつき弱視で、光をまぶしく感じる、色の識別ができないという症状がある。子ども時代の視力は0.08程度。ただ、明るい場所で見えにくいと感じることはあっても、日常生活に支障はなかった。ぐんぐん成長していた体格を生かして相撲の大会に出場したり、バスケットボールに親しんだりするなど活発な少年時代を過ごし、中学に入学すると複数の部活に勧誘された。「相撲部に誘われたんですが、なぜか当時は抵抗があって(笑)」。結局、幼なじみの誘いで柔道部に入部することに。それからというもの正木は柔の道を一直線。兵庫県淡路島の南淡中3年生のときに出場した全中(全国中学校柔道大会)では、男子個人の90キロ超級で準優勝を果たした。

初めての大舞台への豊富を語る正木(柔道競技壮行会が開催されたホテルベルクラシック東京にて)

「このとき、すでに身長は190センチ、体重は120キロありました。体が大きくなった理由は、両親ともに骨が丈夫だったこと、間食が多いくらいしか思い当りませんね……。ご飯をめちゃくちゃ食べるわけではないんです。全中の試合前には、ゲンを担いでかつ丼を食べましたけど(笑)」

その後、推薦入学で強豪・育英高に入学。寮生活を送りながら、柔道に取り組み、3年のときのインターハイで男子個人100キロ超級、団体ともに3位の成績を残した。大学時代は、全日本学生柔道優勝大会で団体戦のメンバーになるなど強豪と渡り合った。

正木の周りには、五輪選手はいても、パラリンピック選手はいなかった。だから、「視覚障害者柔道の存在は知らなかった」と言う。

「世界に挑戦できる」

大学4年のとき。視力が0.03まで下がった。視覚障害が壁となり、大学の単位取得も就職活動も困難な状況だった。正木は、「就職につながる資格を取ろう」と考えるようになった。そんなとき、バルセロナパラリンピックの金メダリストで徳島県立盲学校の教諭である高垣治氏から、“パラリンピックの柔道”の話を聞いた。柔道は続けたい。「盲学校の専攻科であんまマッサージの資格取得の勉強をしながら、同校の柔道部で練習してロンドンパラリンピックを目指さないか」。正木は高垣の薦めに飛びついた。

「視覚障害者柔道に参加できると聞いたとき、世界を狙えると言われ、パラリンピックに出場して金メダルを取りたいと思いました。それに、視覚障害者柔道は両者が組んでから試合がスタートし、常に組んだ状態で行うということだったので、今まで目の見える相手と対戦してきた自分にとっては、かなり有利だなと。これからは、無駄な動きをしたり、余計な神経を使ったりしなくていいんですからね」

「オール一本勝ち」が目標

昨年4月、大学は卒業せずに徳島県立盲学校に入学し、学業に励みながら、徳島の高校などで健常の選手と汗を流す。冒頭のIBSA大会で優勝し、日本のロンドンパラリンピック出場枠獲得に貢献。今年5月のロンドンパラリンピック日本代表選考試合には、100キロ超級に対戦相手がいなかったため不戦勝で出場が決まった。

「全試合一本勝ちで金メダルを」と抱負を語った正木(大正大学にて)

「パラリンピックに向けた練習はしっかりやっていたけど、代表に決まるまでは少し心配でした。正式に出場が決まった今は、金メダルを目指すだけです。あまり器用じゃないので、とにかく全部勝って金メダルしか考えていません」

ロンドンパラリンピックの抱負は「オール一本勝ち」。とはいえ、一本の美学を持っているわけではない。高校時代に教わった攻め続ける柔道を実践した結果、IBSA世界大会で全試合一本勝ちができただけだという。

「IBSA世界大会に出場して、視覚障害の世界でやっていける自信がつきました。このレベルで満足しないために、絶対にオール一本勝ちで優勝したいんです。そうでないと、次の大会につながらない。だからこういう目標を掲げて、公言することにしています」

目指すのはロンドンのさらにその先へ

25歳で迎える初めてのパラリンピック。五輪チームと同様に、メダルの数が減少の途をたどる日本の視覚障害者柔道界が、正木にかける期待は大きい。

同時に、ただ一大会しか国際的な試合経験がない正木の試合勘を心配する声もある。当の本人は、「そういう不安も、プレッシャーも感じない性格なんです」と、どこまでもおおらかだ。

「目立ってこいよ」

正木は、徳島県立盲学校の実習助手兼助教諭でもある偉大なる柔道家、藤本聰にそう言われている。

男子66キロ級の藤本は、アトランタパラリンピックからアテネまでの3大会連続金メダリスト。北京では惜しくも銀メダルだった。

「ロンドンの後は、リオに、(実現すれば)東京、そしてその次まではパラリンピックを目指したい。過去に藤本先生が3連覇という成績を残しているので、その上の4連覇を狙います」

目指すは勝ち続けられるパラリンピック選手。大きな目標を胸に秘めて、正木健人は初めての大舞台に挑む。

※この記事は、8月22日~9月19日の期間中、「YAHOO! JAPAN ロンドンオリンピック・パラリンピック日本代表応援キャンペーン」特設サイトで掲載されたものです。

(取材・文/瀬長あすか、撮影/吉村もと)