ウィルチェアーラグビー, 夏季競技 — 2012/8/22 水曜日 at 16:47:02

【LONDONプレビュー】ウィルチェアーラグビー日本代表、チーム一丸となって金メダルを

by

2010年の世界選手権(カナダ)では銅メダルを獲得し、ロンドンでは金メダルを狙うウィルチェアーラグビーの日本代表(撮影/吉村もと)

ウィルチェアーラグビーの日本代表は過去に2度パラリンピックに出場している。2004年のアテネでは8カ国中8位。北京でも7位と惨敗だった。だが、北京の後、新体制となり、09年に再始動したチームは、10年の世界選手権で過去最高の銅メダルを獲得。ロンドンではメダルが手に届くところにある。

キャプテンの佐藤佳人(BLAST/千葉)は抱負を語る。
「ロンドンの目標は、金メダルです。北京のときは『メダルを取りたいな』という感じだったけれど、今は『最低でもメダルを取る』という気持ちでいます」

12人のメンバーのうち、6人が3大会目の出場になる。長い間、「メダルゲームに絡む」が日本チームの目標だった。だが、世界選手権で3位になった後、選手たちは、より高い目標「金メダル」を口にするようになった。ロンドンを見据え、メダルへの意識が、惨敗した4年前より高く、明確なものへと変化していった。

それぞれの役割に徹するコート上の4選手

「必ずメダルを持ち帰る」と語るエース池崎(国立リハビリテーションセンターにて)

ウィルチェアーラグビーは、四肢に障害がある人のためにカナダで考案されたスポーツだ。車いすごとぶつかり合う「タックル」が認められており、その当たりの激しさから“マーダー(殺人)ボール”とも呼ばれる。選手たちは頑丈に作られた専用車いすを操作し、バレーボールを基に開発された専用球を、パスやドリブル、ひざの上に乗せるなどして敵陣のゴールラインまで運ぶ。スピーディーな試合展開が魅力の競技である。

日本代表の最大の武器は、スピードを生かした攻撃と守備。その中心にいるのが、10年に初めて日本代表になった池崎大輔(北海道Big Dippers)だ。幼い頃に手足の筋肉が落ちていく難病を発症した池崎は、高校時代に車椅子バスケットボールを始め、「枕元にバスケットボールを置いて寝た」というほど熱中していたが、北海道のチームから熱心な誘いを受けてウィルチェアーラグビーに転向した。日本代表では車椅子バスケットボールで鍛えたチェアスキル(車いす操作スキル)や視野の広さを生かし、世界選手権で活躍。長年日本を牽引(けんいん)してきた名プレーヤー、島川慎一(BLITZ/埼玉)と切磋琢磨しながら日本のエースへと成長した。

アメリカのトーナメントに参戦し、一段と成長した仲里

その池崎とともに、日本代表の躍進に貢献したのが仲里進(Okinawa Hurricanes)。先天性の機能障害を持ちながら、地元のサッカーチームに入るなどスポーツに親しんできた。24歳のときにウィルチェアーラグビーを始め、やがて日本代表に選出されるようになると、月1回、関東で開催されることの多い強化合宿に沖縄から参加し、31歳で迎えた北京パラリンピックではスタメン入りを果たした。翌年から、念願だった本場米国のトーナメントに参戦。3シーズンを戦い抜いた。強豪にもまれたことで自信が生まれ、「コートの中で自分がナンバー1だという強い気持ちで試合に臨めるようになった」と言い、身体の大きな海外の選手に当たり負けしないパワーを身につけた。

10年からチームのキャプテンを務める佐藤は、17歳のときに交通事故で車いすの生活になり、職業訓練のために入所した埼玉県の国立リハビリテーションセンターでこの競技に出会った。一目見た瞬間、コンタクトプレーが許される競技の魅力にハマり、退所後は就職せずにラグビー漬けの生活を送っていた時期もあった。パラリンピックへの出場は3度目で、代表歴は10年と長い。過去の国際大会では、日本代表に選ばれながらコートに1秒も出られない悔しさも味わった。「正直キャプテンがどういうものか分からない。経験を通して自分が感じたことを伝えるだけ」。持ち味はスピードと精度の高いパス。不完全燃焼に終わった2度のパラリンピックを知るからこそ、平常心を心がけて、大舞台に挑もうとしている。

大会を通じて戦う体力をつけてきたローポインターの岸に期待

岸光太郎(AXE/埼玉)は、大学時代、バイク事故に遭い頸髄(けいずい)を損傷した。もともと体を動かすことが好きで、何かスポーツを始めようと探していたところ、リハビリのために入院していた病院の職員にウィルチェアーラグビーを薦められ、デモンストレーションを見に行った。「かっこいい」。競技の面白さに魅かれたのと同時に、日常用の車いすとは違う、ラグ車(ラグビー専用の競技用車いす)の機能美に魅了された。以来、約15年プレーしている。だが、日本代表とは無縁だった。パラリンピックに出場した代表選手の話を聞くと、「心の中でうらやましいと思っていた」。北京の後、体制が変わったことを機に、09年に初めて代表メンバーに。10年の世界選手権では日本チームの中で最も長くコートでプレーして、銅メダルを勝ちとった。「とうとうここまで来たと思うとうれしかった。でも、対戦の組み合わせがラッキーな3位だったから、安泰せずにチャレンジャーでいること、上を目指し続けることが大切かなと思いました」

ルール上、選手には障害のレベルにより持ち点が与えられる。障害が軽いほど点数が高く、コート上の4人の合計は8点を越えてはならない。池崎(3.0)、仲里(2.5)、佐藤(2.0)、岸(0.5)という組み合わせが日本のファーストラインだ。「点を取るのがハイポインターの役目」と池崎が言えば、「相手エースの漕ぎ出しを少しでも遅らせるよう相手車いすをひっかけるのが快感」と岸。選手たちはラインのコンビネーションを確認し合い、それぞれの役割に徹する。この持ち点制にこそ、「One for all、 All for one」(一人はみんなのために、みんなは一人のために)というラグビーの精神が詰まっている。

直前の国際大会で得た課題と収穫

チームは年2、3回の海外遠征と月1回の強化合宿を行い、それぞれのラインが機能するように練習を重ねてきた。だが、今年6月に出場したカナダカップでは、初戦の英国戦に勝利して波にのったものの、ライバルのカナダに破れるなどして4位になり、日本は世界ランキングを3位から4位にひとつ落とした。選手層の厚い強豪国に対して、ファーストラインに偏った布陣が課題となった。

「カナダカップ後の合宿では、セカンドラインの強化に重点を置いた練習をしてきた。ロンドンでは、相手チームの選手の組み合わせや日本の状況を見て効果的にメンバーチェンジを行いたい。ベンチも含めてチーム一丸で戦います」とは岩渕典仁監督の弁。

一方、カナダカップでは収穫もあった。大会3日目の予選で日本は、06年以降、世界のトップに君臨する米国から1点差で金星を挙げたのだ。

3度目の大舞台に臨むキャプテンの佐藤

佐藤は力を込める。
「これまで勝ったことがない米国に勝てたことは大きな自信になったし、本当に金メダルが見えた瞬間でした。ロンドンでは、相手の気迫にのまれず、いつも通りに戦うことができればメダルは取れる。パラリンピックに出場する世界のトップ8カ国に力の差はあまりないけれど、ジャパンは総合力ではトップクラス。それに、歴代最強のチームですから」

厳しい試合に競り勝ってきたことでチームは結束力を高めてきた。それが結実したのが10年の世界選手権だったのだ。初のベスト4をかけて戦ったポーランド戦の最終ピリオドでは、ベンチがコートを盛り立て土壇場で逆転勝利し、過去最高の壁を乗り越えた。また、11年のパラリンピック予選(アジアオセアニアゾーン選手権)では、宿敵ニュージーランドとの死闘を2点差で制し、ロンドンへの切符をつかんだ。前夜のミーティングで選手の思いがひとつになった結果だった。

9月5日に競技が始まるロンドンパラリンピックのウィルチェアーラグビー。メダルへの決意を胸に、選ばれし12人はロンドンの地に向かう。それぞれの強い思いがひとつに結集したとき、結果はおのずとついてくるだろう。

※この記事は、8月22日~9月19日の期間中、「YAHOO! JAPAN ロンドンオリンピック・パラリンピック日本代表応援キャンペーン」特設サイトで掲載されたものです。

(取材・文/瀬長あすか、撮影/吉村もと)