アルペンスキー, クロスカントリー, 冬季競技 — 2014/3/20 木曜日 at 21:55:51

ソチは通過点、挑戦の舞台は冬から夏へ

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小池はアルペンスキーと自転車競技の両立に意欲を見せる(撮影/吉村もと)

ソチパラリンピックは16日に閉会式が行われ、10日間の熱戦が幕を閉じた。パラリンピックは4年に一度の大舞台。五輪同様に、その舞台に懸けるアスリートの思いは強い。そこに特別な気持ちで大会に臨む選手の姿があった。「冬から夏へ――」。活躍の場を“次のステップ”に移す彼らのメダルへの挑戦は続く。

バイアスロンとクロスカントリースキーに出場した久保恒造(日立ソリューションズ)は、今大会を「集大成」と位置付けて臨んだ。冬競技から退き、陸上競技に専念して夏のパラリンピックを目指すことを宣言している。

「(ケガで車いす生活になって)初めにやりたいと思ったのが車いすマラソン。だから、その競技で世界と勝負したい」

陸上長距離で20年東京パラリンピックで「夏冬メダリスト」を目指す久保

もともと長距離専門の陸上選手としてパラリンピックを目指していた。オフシーズンのトレーニングに車いすマラソンを取り入れていた先輩の誘いで、2008年にスキーを始め、1年の半分をスキー、残りの半分を陸上にあて、“二足のわらじ”を履いてきた。

だが、スキーと陸上は使う筋肉が違い、体づくりの方法も異なる。スキーを極めていくにつれ、陸上との両立が難しくなっていった。

10年の冬季バンクーバーパラリンピックにはスキー選手として出場したが、陸上競技で、12年夏季ロンドンパラリンピックの日本代表選手になれなかった悔しさも、もう一度、陸上に専念したいという気持ちに火をつけた。

東京で狙う「夏冬メダリスト」

バンクーバーで表彰台に上がれず、「悔しいものでしかない」と語るパラリンピックという舞台。「リベンジしなければ終われない」と自分を奮い立たせ、ソチの地に降り立った。

メダルを狙っていたバイアスロン3種目(7.5キロ、12.5キロ、15キロ)の射撃ではすべて満射をたたき出した。初日の7.5キロで銅メダルを取った後のレースは強敵ロシアの前に屈したが、「辛抱強く追い上げる自分のレースをしたい」と挑んだ15キロでは、その言葉通り、上位を占めるロシア勢の中で気迫の走りを見せ、堂々の6位に入った。メダルには届かなかったものの、レース後、「自分の100パーセントの力が出せた。メダルを取ったような気持ちです」と話す充実ぶりだった。最終日のクロスカントリー10キロフリーも会心の滑りで5位入賞。大会を笑顔で締めくくった。

「心置きなく次のステップに行くためにも、どうしても欲しかったのがメダル。圧倒的な力を見せるロシア勢相手に、銅1個取れただけでも最高の出来」と振り返った。

4月1日から、所属先の日立ソリューションズが久保のために新設した「車いす陸上部」に籍を移す。車いすマラソンとトラック種目で2年後のリオパラリンピック出場を狙い、20年東京パラリンピックでのメダル獲得を目標に掲げる。

ソチの選手村には、いつでもトレーニングが始められるよう陸上用の車いすを持ち込んだ。久保の障害クラスT54(車いす)はツワモノぞろいだ。国内外ともに競技人口も多い。 「ソチでのメダルは競技人生の通過点。自分には、ゆっくりしている暇はない」

その先に見据えるのは、まだ日本人男子にはいない「夏冬メダリスト」である。

小池はスキーと自転車の両立目指す

もうひとり、アルペンスキーの小池岳太(セントラルスポーツ)も、スキーを続けながら夏季大会に挑戦すると表明している。

パラリンピック3度目の出場となった今大会は、大回転などで9位が最高成績。4年前のスーパー大回転と同じ順位で「世界に置いていかれた」と肩を落とした。

 ソチでは起伏が激しく、荒れるコースの攻略に苦しんだ。「体のバランスをうまく取り続けるテクニックが足りていない」と振り返り、落下速度を上げるためのさらなる筋力アップが課題だと実感した。

現在31歳という年齢を踏まえ、トレーニングを一から見直すことも検討する。それと同時に、20年東京パラリンピックの自転車競技に挑戦することも決めている。長年、効率良く持久力をアップさせるために自転車通勤をするなど、スキーのトレーニングの一環として自転車を取り入れてきた下地があった。

それを競技として挑戦しようと思ったきっかけは、「やはり五輪・パラリンピックが東京に決まったこと。トレーニング次第では現役も可能なので、この世界で行けるところまで上を目指したい」。

アルペンスキーと両立していくことに対しては、「今まで以上に厳しくなる。共倒れする可能性もあるけれど、両方とも諦められない」と力強く語る。

サッカーに熱中していた大学時代、交通事故に遭い、左腕が動かなくなった。だが、ケガをした後も、ゴールキーパーを卒業まで続けた根性の持ち主だ。幼いころから、スポーツ好きの両親に連れられ、スキーにも親しんでいた。当時、小池にパラリンピックへの挑戦を勧めた日本体育大の野村一路教授は言う。「気力や体力がある限り、トップで続けてほしいし、その経験を次のキャリアにつなげるべき。それがアスリートの使命だと、昔から教育してきた」

問題はスポンサーの確保だ。小池はこれまで事故の保険金を切り崩し、遠征にかかる費用などにあてていたが、昨年3月に底をついた。カンパを集めてなんとかソチまでつないだものの、今後は2競技分の資金確保がのしかかる。

一足早く冬から夏へ転向した選手も

冬競技から転向し、自転車で活躍する鹿沼(写真左)=2013パラサイクリング選手権・トラック大会

ソチの前に、一足早く自転車競技に転向した冬のパラリンピアンがいる。クロスカントリースキーでバンクーバー大会に出場した視覚障害の鹿沼由理恵(メットライフアリコ生命保険)だ。ソチを目指していた練習中に左肩を痛め、挫折を味わったときに見つけたのが、「自転車でパラリンピックにもう一度出場する目標」だった。海外の選手とメールのやり取りをする中で、多くのトップ選手がクロストレーニングとして自転車にも取り組んでいることを知ったことがきっかけとなった。

それから2年。昨年のパラサイクリング世界選手権に初出場し、6位に入った。「クロスカントリーで鍛えたスタミナには自信があるし、何より冬のパラリンピックで達成できなかった悔しさがパワーになっている」と語る。

小池も壁はいろいろとあるが、スキーと自転車の両方に挑戦する選手として、新たなモデルを作り、挑戦する姿を家族や支えてくれた人たちへの恩返しにしたいと考えている。

冬から夏に舞台を移しても、彼らの目指す場所は変わらない。地元開催のパラリンピックでメダル獲得を、という新たな目標。ソチから東京へ――。その道はまっすぐと続いている。

(取材・文/瀬長あすか、撮影/吉村もと)