クロスカントリー — 2014/3/5 水曜日 at 11:30:49

「悔しい思いはもう味わいたくない」 狙うは頂点、シットスキーヤー久保恒造

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国内最後のレースで圧巻の走りを見せた久保恒造=旭川・富沢クロスカントリー競技場(撮影/吉村もと)

4年前のバンクーバーパラリンピック。初出場のシットスキーヤー久保恒造は、バイアスロンの男子座位12.5キロで6位入賞を収めた。この時、28歳で、競技歴はわずか2年、クロスカントリーでも最高7位の成績。日本の若きエースの誕生を喜び、取材ゾーンには報道陣が大挙して押しかけた。

しかし、そんな空気をさえぎるかのように、久保ははっきりとした口調で話した。「今回のパラリンピックで、心の底から勝ちたいという気持ちが芽生えました。4年後はメダルに絡める選手になりたい」。この日、ロシア勢が表彰台を独占。その3選手を見つめながら、悔しさを胸に刻み、ソチでのリベンジを誓った。

あれから4年――久保は昨シーズンのワールドカップ(W杯)バイアスロン年間総合ランキング1位を獲得するまで成長した。今シーズンも12月のW杯カナダ大会のバイアスロン3種目で2位になる好調ぶりだ。確かな実績を残し、ソチではメダル候補として名乗りを上げる。

車いすマラソンと“二足のわらじ”

もともと競技用車いす「レーサー」に乗る陸上選手だ。今も夏場は長距離・マラソン選手として、国内外の大会に出場している。

ロンドンパラリンピック出場をかけて力走する久保=2012年、長居陸上競技場

18歳のとき、交通事故で脊髄を損傷。入院中にテレビで見た車いすマラソンに魅了され1年後、競技生活をスタート。だが、目標にしていた2008年北京パラリンピックの日本代表に選ばれず、契約していたスポンサーにも支援を打ち切られ、どん底を味わった。途方に暮れていたとき、シットスキーの第一人者である長田弘幸(日立ソリューションズ/4大会連続でパラリンピック出場)に「スキーをやらないか」と誘われた。それがノルディックスキーとの出会いだった。同じ北海道出身の長田はオフシーズンのトレーニングとして車いすマラソンに取り組んでいた。久保も「使う筋肉は異なるが、車いすマラソンにも生きる」と、“二足のわらじ”を決めた。

その後、日本初の障害者実業団チームを持つ日立ソリューションズのスキー部に所属した久保は、めきめきと力をつけていく。マラソンで鍛えたスタミナを武器に、世界でもすぐに頭角を現した。また、用具の工夫を追求し、マシンの改良にも着手。久保のカテゴリーでは、座るタイプのスキーに身体を固定させ、上半身でこぐ力をスキーに伝えることで前進するマシンを使用するが、陸上用の車いすをヒントに、世界で最初に「正座で座るスタイル」を取り入れた。これまでの足を前に投げ出して座るタイプより、前方への推進力が高く、今ではこの“久保スタイル”が多くの選手に採用されている。

強豪ロシアを倒すために

久保が得意とするのは、静と動のスポーツといわれるバイアスロンだ。射撃力は世界トップレベル。「命中率は誰にも負けない」と絶対的な自信を持つ。その強さは、雪上練習ができない夏場に培われたものだ。網走の射撃場に陸上の車いすレーサーを持ちこみ、走りこみから射撃に移る練習を重ねた。心拍数が高い状態でも無意識に的を撃つ。その感覚を身体に覚えこませた。長野五輪バイアスロン日本代表の阿部由香里コーチも「精神的に強く、安定している」とミスの少なさに舌を巻く。

射撃では命中率100パーセントを目指す

苦しい時期も経験した。11−12年シーズンには、3シーズン連続となるバイアスロン年間総合ランキング2位を維持するも、なかなか優勝には手が届かない。「ロシア勢に勝ち、表彰台の一番高いところに上がる」という目標が明確だった分、伸び悩みから焦りも生まれ始めていた。

だが、転機は訪れる。12−13シーズンの久保は絶好調。走力が上がり、ライバル選手との秒差の争いに競り勝てるようになったのだ。
要因のひとつは、シットスキーの高さを前年より6センチ高くしたことにある。ひとこぎの動きを大きくし、ストロークを長くした成果が表れたのだ。それに併せて、ストックも長くした。また、スポーツ科学の専門家との出会いも大きかった。練習メニューや体の状態を数化して検証することで、コンディションも向上したという。

とはいえ、世界的に競技力は向上しており、ましてや走力のあるロシア勢と同じやり方では勝つことはできない。今シーズンも試行錯誤を続け、シットスキーの高さを規定ギリギリの40センチまで上げることを決意。さらに、バンクーバー大会時より体重を約8キロ絞り、持ち前の速いピッチを生かせるしなやかな身体づくりで勝負に挑む。「やることはすべてやり、準備はできている。良い緊張感を持ちながらも、気持ちには余裕があります」と久保は自信をのぞかせる。

パラリンピックの悔しさ胸に――

実はバンクーバー大会の後、久保は陸上選手としてもう一度勝負をしたいと、夏のロンドンパラリンピックの出場を目指した。だが、トラック長距離種目でコンマ2秒差で敗れて、北京大会に続き、再び日本代表の座を逃した。そして今回のソチパラリンピック。彼にとって、この大舞台への挑戦はどんな意味があるのか。

「バンクーバーも悔しい思いしかないし、ロンドンも悔しさが残る形で行けなかったんで。こんな気持ちはもう味わいたくないから、何としてでも表彰台に上がりたい」

久保の大きな目標は、夏と冬両方のメダル獲得である。

(取材・文/瀬長あすか、撮影/吉村もと)