【バンクーバーパラリンピック】車いすカーリング初勝利を呼び込んだ中島の一投

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オリンピックと同じ会場、バンクーバーパラリンピックセンターで行われている車いすカーリング

車いすカーリングは、13日から競技がスタート。初出場の日本チームは、予選の第1試合イタリア戦を戦い、初勝利を飾った。

第8エンド、スキップ中島の最後のショットがハウス内側に決まると、観客席のカナダ人からは惜しみない拍手が送られた。勝者となった日本の選手たちは手を振りながら笑顔で応えた。

「ほっとしました」。スキップとしてチームを牽引してきた中島洋治は、報道陣の前で安堵の表情を浮かべた。

カギとなる初戦。「初戦はいける」。バンクーバーに発つ前にはそう話していた。
自信はあったが、緊張はピークに達していた。
第1エンドで3点の先制を許した。中島は振り返る。「自分が緊張しちゃって(戦術が)バラバラになってしまった」。
カーリング競技は、会場や運営スタッフがオリンピックと同じ条件で行われている。
競技歴6年の中島は、国際大会へも出場してきたが、パラリンピックには今まで経験したことのない独特の雰囲気を感じていた。

こんなとき、頼もしいのがベテランのチームメートたちだ。リード・斉藤、セカンド・比田井、サード・市川の3人は平常心を保っていた。いつも通り、日本の持ち味であるストーンを置きに行く、ドローショットを決めていった。

第2エンド、日本の1投を残して、ハウスの中心に最も近いのはイタリアのストーンだった。中島が最後のストーンをリリースする。イタリアの赤いストーンが弾き出された。カーリングをよく知る観客からは拍手と歓声が沸く。ハウス内に残っているのは、中島が投じた黄色いストーン。鮮やかに決まった1点は、会心のショットが生んだ。

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今大会の出場選手最高齢として注目される比田井は「最高といっても過言ではない」と勝利を喜んだ=写真は試合前日の開会式/撮影:吉村もと

このショットがきっかけとなり、中島はいつもの冷静さを取り戻した。流れを引き寄せた日本は、その後も順調に得点を重ね、9対6で初戦を制してパラリンピック初勝利を手に入れた。

2002年、長野県の軽井沢で体験会が行われ、日本で車いすカーリングの歴史が始まった。そのころは、助走の代わりに味方の選手が車いすの選手を押してストーンを滑らせていた。右も左もわからなかった。2006年のトリノパラリンピックから、車いすカーリングが正式種目に加わることになり、パラリンピック出場を視野に入れた強化が始まった。競技の正式なルールは、初めて参戦した世界選手権で知ったという。それから6年。日本代表の選手たちが中心となり、国内で普及や強化が進んでいる。
当初「チーム中島」の名称だったチームは、「信州チェアカーリングクラブ」に変わり、今では日本を代表する「クリスタル・ジャパン・チェアーズ」になった。パラリンピックという目標に達したチームは、初勝利も手に入れた。大舞台での戦いははじまったばかり。新たな歴史が築かれるのは、これからだ。

カーリングの予選リーグは、出場10ヵ国の総当たり戦を行う。14日、1勝0敗の日本は韓国、ドイツと対戦する。

▼13日の日本戦の結果
イタリア30001020=6
日本  01320201=9

(取材・文/瀬長あすか)