広州2010アジアパラ競技大会 — 2011/1/13 木曜日 at 23:31:30

【広州アジアパラ観戦記2】広州で見た中国のチカラ

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閉会式で祝福の拍手に応える男子車椅子バスケットボール日本代表チーム

日本から航空機に揺られて5時間半、白く靄掛かった広州白雲国際空港に降り立った。「広州アジアパラ競技大会」を見る為に、今何かと世界を賑わせている中国に単身で乗り込んだ。フェスピック競技大会の歴史を引き継ぐこの大会は、アジアパラという名になって初めての開催であり、王座を取ればどの競技でも初代王者として歴史に名を刻むことが出来る。

空港に着いた直後から開会式が始まり、生で見ることが出来なかったが、その模様がなんと地下鉄の、それも車内のテレビで見ることが出来た。アジア大会に向けて作られたからこそ出来る業なのかもしれない(その放送は期間中も続き、アジアパラ大会の結果やインタビューなども含めて放送されていた)。

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広州花園酒店の壁面。大きな広告に目を奪われた

そして、街中の広告の多さに目が奪われた。どんな所に行っても、「広州2010アジアパラゲームス」という看板を見ることが出来たし、高さ50m×幅15m程のホテルの壁面には、プロジェクターを使って大会の宣伝が映し出されていた。国を挙げて盛り上げようとしている姿勢に、私は感動した。中国のパワーには本当に驚かされることばかりだ。

2008年の北京パラの時も、驚かされてばかりだった。“並ぶ”という意識がない中国人に対して困惑して、苛立ち、良い思い出が少なかった。ここ広州でも確かに並ばないが、どこかのんびりしている。そして、お年寄りや子連れに対して電車内では積極的な譲り合いが見られた。私の拙い英語でも何とか聞き取ってくれて、答え返してくれる。

会場では、隣で観戦していた中国人と、言葉が通じなくても身振り手振りで笑い合えた。偶然出会ったご老人は、数字の読み方、広東語と北京語の発音の違いを丁寧に教えてくれた。中国語が分からなかろうが、混雑時に肩がぶつかろうが、中国人はそんな小さなことは「気にしない」のだろう。そんな気質を広州に来ることで知ることが出来て良かった。北京で終わっていたら、「中国人」という括りで勘違いをし続けたままだったかもしれない。

滞在中は、大会二日目から始まる車椅子バスケットボールをメインに観戦した。観客は中国戦となるとどの試合も動員をかけているように見えた。家族連れから大学生、地方から出てきたお年寄りなど、様々な人が入り混じって会場がいっぱいになった。

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水を飲むために並ぶ子供たち。次の世代は並ぶようになるのだろうか

日本の初日は男女共に中国戦。女子は55-51で辛勝した。そして、女子の試合同様に男子も接戦の試合展開で、中国人観客のテンションは上がっていく。観客席からの「ジャーヨー(日本語で頑張れ)」という大応援に呑み込まれてしまう日本。フリースロー時のブーイングの凄さに、アウェイの怖さを思い知らされた。リザルトでは、日本のシュート成功率が31%(フリースローはこれを下回る29%)。バスケットボールは、確立がものを言う競技だと言われる。試合は決して数字で決まるものではないが、この値で勝利は厳しくなることがわかる。男子は43-48でまさかの敗戦を喫してしまった。

しかし、ここからチームの建て直しが図られたのか、男子日本代表は予選リーグを順調に勝ち進み、決勝トーナメントに進出。準決勝の難敵・韓国に対して、26点差をつけて完勝した。決勝の中国に対しても、初戦の敗戦が嘘のように29点差をつけて圧勝。男女共に金メダルを獲得し、見事に初代王者に輝いた。ただ、人口13億人の大国・中国の成長をこれからはより注視しなくてはいけない、と感じさせられた大会にもなった。

(伊藤真吾)