1月12~20日、パリ・パラリンピック予選を兼ねた車いすバスケットボールの国際大会「2024アジア・オセアニア・チャンピオンシップス」(以下、AOC)がタイ・バンコクで開催され、男子は日本を含む11カ国が出場し熾烈な戦いを繰り広げた。東京パラリンピックで大躍進を遂げた男子日本代表は、2大会連続のメダル獲得を目指し「ディフェンスで世界に勝つ」をコンセプトに今大会に挑んだ。しかし、アジアの厚い壁に阻まれ4位という結果に終わり、パラリンピック出場を逃した。
パリ2024大会で車いすバスケットボールは、男女とも8カ国が出場し競技が行われる。男子は12カ国、女子は10カ国が出場した東京2020大会と比べて大幅に出場枠が減り、開催国枠もないため、どの国にとっても高いハードルが突き付けられた。昨年の世界選手権の結果により各大陸に出場枠が分配され、アジア・オセアニア地域(男子)に与えられたパラリンピックへの切符は、わずか1枚だった。また、今大会の準優勝チームには4月にフランスで行われる男子最終予選の出場権が与えられたが、いずれにしても、非常に険しい道のりであることに違いはない。パラリンピック出場に向けては最低でも決勝に進むことが求められる厳しい戦いとなった。
日本は予選リーグを3勝2敗の3位で終え、決勝トーナメントに臨んだ。準々決勝で、予選6位(0勝5敗)の地元・タイと対戦した日本は、ディフェンスはもちろん、走力とトランジションの早さを生かしたスピード感ある展開で主導権を握り、92-27で圧勝し準決勝へと駒を進めた。
運命の準決勝。日本の前に立ちはだかるのは、昨年の世界選手権3位のイラン。強靭なフィジカルと高さを備え、3枚あるいは4枚のビッグマンが入るラインで威圧する。今大会の予選リーグでは65-74と日本が黒星を喫した。準決勝前日、京谷和幸ヘッドコーチ(以下、HC)は「日本の切り替えのスピードが、高さのあるイランにどれだけ機能するか。『イランのオフェンス』対『日本のディフェンス』という戦いになる」と話した。
「40分、戦うよ!」
キャプテン・川原凜の掛け声で心をひとつにした日本。試合は、序盤から耐える時間帯が続く。1Qを終え16-23とビハインドを背負うが、2Qでは「ディフェンスで世界に勝つ」をコートで表現し、9分以上もの間、相手に得点を与えなかった。イランの攻撃をわずか2点に押さえ26-25で試合を折り返した。
後半に入っても日本のトランジションの早さは衰えることがなかった。きっと日本が勝つ、誰もがそう信じた。しかし、後半の立ち上がりで8点を奪われると、シュートチャンスには持ち込むものの得点につなぐことができず、日本はじりじりと引き離されていく。息を吹き返したイランは4Qでも次々とゴールを決め、その点差は広がり続けた。それでも、試合時間のこり3分でコートに入った村上直広と鳥海連志が3ポイントシュートを決め、最後の0秒まであきらめない姿勢を貫いた。そうして、49-63で試合終了。パリへの道が閉ざされた瞬間だった。
試合後の円陣。言葉もなく、涙もなく、ただ呆然と無表情で立ち尽くす姿があった。「下を向かない!」と、京谷HCの声が響く。京谷HCは選手一人ひとりを見回し、低いトーンで、言い聞かせるように伝えた。
「我々はこれからも戦い続けなければいけない。パリ・パラリンピックの出場はなくなったが、次のロスに向けての第一歩が明日の試合になる。その一歩目として、いいゲームを作らなければいけない。それが日本代表としての使命だし、責任でもある」
静寂で重い空気が立ち込めるが、ベテランの香西宏昭は気丈に振る舞い、明るくチームに寄り添った。
韓国との3位決定戦。折れた心を奮い立たせ、日本は再び戦いの舞台に立った。「日本で待っている強化指定の仲間のことを考えたら情けない試合はできない。絶対に40分間、自分たちのバスケットボールをする。ちゃんと胸を張って日本に帰れるように、もう一回切り替えてがんばろう」。川原はチームスローガンである「魄繋(はっけい)」を最後まで体現し続けた。
困難な状況にも全員で立ち向かう“魄”、みんなで40分間つなげていく“繋”。ここにいる12人のメンバーだけでなく、スタッフ、家族、ファンへの感謝の気持ち、今回来られなかったメンバーの分まで絶対にパリへの切符をつかみ取ろうという覚悟、さらには対戦相手へのリスペクト、すべての思いを「魄繋」という造語に込めた。
試合は両チームともに、打っても打ってもシュートが入らない、もどかしい展開が続いた。なんとかリズムを引き寄せようと果敢にリングを狙うが、得点は伸び悩み19-22で前半が終了した。後半に突入しても、重苦しい空気が変わることはなかった。日本は「みんなでやり続けるぞ」とコートで声を掛け合うが、試合が進むにつれ、その気迫は薄れていくように感じた。前日の敗戦を引きずっているようにも見受けられ、ベンチから伝わる熱量は明らかに韓国の方が上だった。
最終Qで一時は15点差にまで引き離され、このまま終わってしまうのかと俯きかけたが、その思いをかき消すかのように、丸山弘毅がペイントエリアにグイグイと切り込み、ゴール下からのシュートを次々と決めてみせた。丸山に引っ張られるように赤石竜我もレイアップで得点を追加し、閉ざされた道を再び切り拓く覚悟を示した。45-53、今ある力を振り絞り、最後の戦いを終えた。
「僕自身も経験したことがないくらい、過去最高に難易度の高い大会だった。自分たちのバスケットを出し切って、このような結果がでた。ここからがスタートラインだと思っている。足りなかった部分は大いにある。日本代表のためにどうするか、ではなく、まずはここで経験した一人ひとりが自分とちゃんと向き合い、個人のレベルアップを図る時間を持つべきだと思う」
2004年のアテネから東京まで5大会連続でパラリンピックに出場した、チーム最年長の藤本怜央は、厳しい表情で冷静に大会を振り返った。
そして、誰よりもチームを思い、どんなときも声を出し続けたキャプテンの川原。
「東京パラリンピックが終わって先輩たちが抜けて、まだ精神的に心細かったチームが、少しは自力を持ったり、自分以外の人のために力を使ったり、他の人に頼るということもできるようになった。バスケでは負けてしまったが、チームとしてはすごく成長できた。キャプテンらしいことはまったくできなかったが、みんなが助けてくれた。本当にみんなに感謝する2年間だった」
思いが溢れ、目に涙を浮かべ、言葉を詰まらせながら、胸の内を綴った。
最後は、「この負けを絶対に無駄にしてはいけない。この悔しさを忘れず、またロス大会で強くいけるように第一歩を踏み出します。日本はここで絶対に終わらない、また絶対に(パラリンピックの舞台に)戻ってきます」と力を込め、まっすぐ前を向いた。
厳しい勝負の世界、勝ち続ける難しさ。それでも日本代表の戦いは続いていく。
「下を向いている時間はない。次、次」
新たな一歩を踏み出し、新たな挑戦が始まる。再び日本がパラリンピックの舞台に返り咲き、バスケットで日本をアツくする、その景色を頭に描きながら、険しく地味な道のりに注目したい。
(取材・文・撮影/張 理恵)