陸上 — 2015/5/11 月曜日 at 13:31:22

ゴールデングランプリ陸上が閉幕。2020年へ向けて、パラ陸上で大きな一歩

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多くの観客が見守る中、パラリンピック男子100mのレースが初めて行われた=等々力陸上競技場(撮影/星野恭子)

陸上の国内外トップクラスの選手が集まり、等々力陸上競技場(神奈川県川崎市)で5月10日に行われた「セイコーゴールデングランプリ2015川崎大会」。日本陸上競技連盟の主催大会としては初めてパラリンピック種目が組み込まれ、大勢の観衆のなか、日米7名のパラアスリートが躍動した。

義足のハイジャンパー鈴木徹がオープン参加

最初に登場したのは、男子走高跳にオープン参加した鈴木徹(プーマジャパン)だ。T44クラス(片下腿切断など)でパラリンピックに4大会出場し、今シーズンも4月にブラジル・サンパウロで行われた大会で9年ぶりに自己タイの2mを跳んだ。そんな鈴木が2013年世界選手権(モスクワ)の金メダリスト、ボーダン・ボンダレンコ(ウクライナ)や自己ベスト2m31の戸邊直人(つくばツインピークス)らと同じピットに立った。

だが、2m30前後の自己記録を持つ選手が並ぶなか、鈴木は自己記録2mの最初の試技者であり、しばらくは一人で跳び続けねばならなかった。1m90、1m95をそれぞれ1回でクリア。その後、2mに挑んだが惜しいジャンプが続き、2mクリアの再現はならなかった。

男子走高跳にオープン出場した鈴木徹(撮影/星野恭子)

「観客から手拍子もしていただき、いい雰囲気の中で試合ができて良かった。記録は2m5cmにかけてチャレンジしたかったが……。いつもは試技ごとに義足を外し、中にたまった汗を拭いてから跳ぶのだけれど、(今回は)試技の間隔が短かった。もう少し余裕がほしかった思いはあるけれど、まずまずの跳躍ができた。日本のこんなに人が入った大会で試合ができたこと、それに国内外のトップ選手と跳べたことは貴重な経験になった」と前向きに振り返った。

日本記録保持者の佐藤「海外に出ないと感じられない経験ができた」

そして行われた、男子100m(T43/44クラス=両下腿/片下腿切断など)には、日本とアメリカから義足のスプリンター3名ずつが出場した。レースは昨年の全米パラリンピック金メダリストのジャリッド・ウォレスが自己タイ記録の11秒15で快勝。日本勢トップは日本記録保持者の佐藤圭太(中京大クラブ)で4位だった。

試合後、報道陣の前に現れたウォレスは、「気象条件がよく、観客も素晴らしかったし、高速トラックだったので、とてもいいレースができた。フィニッシュした瞬間、すごい歓声が聞こえてとても興奮した」と笑顔で振り返った。

日本勢トップの佐藤の記録は12秒08。佐藤は「アメリカの選手は速かった。そういう感覚はこれまで海外に行かないと感じられなかったが、今日のように日本で海外選手と戦えたことで、僕のなかで意識の変化も感じたし、やっぱり負けたくないと思った。今度は日本選手もトップ争いできるように、僕自身、もっと強くなりたいと思った」と力強くコメントした。

また、ロンドンパラリンピックで4位だった4x100mリレーのメンバー春田純(静岡陸協)は12秒29で5位、2013年アジアユースパラ競技大会(マレーシア)金メダリストの池田樹生(中京大)は12秒64で6位だった。

2020年東京パラリンピックの成功に向けて……

春田は「大会の雰囲気が最高だった。多くの観客の前で走れることは、モチベーションが上がるしワクワクする。ワクワク感の中で走って、かつ記録を出すことはプレッシャーもあるが、すごく楽しい時間。だから、(陸上は)辞めらない。障がい者の大会は観客が少ないので、そういう意味でも今日は励みになった。また、今日のトップは11秒15。健常者のレースでも通用するくらいのレベルで、皆さん、驚かれたのではないか。僕ら日本選手も体づくりや走りの技術を磨いてアピールし、2020年に向けて障がい者スポーツをもっと盛り上げていきたい」と熱っぽく語った。

また、レース前には健常の選手から「義足で走るなんて、すごい」と声をかけられたといい、「脚はないけど、いいタイムを求めて頑張っている」と話すと、「そこは競技者として同じだね」と言われるなどの交流もできたという。一競技者としてもさまざまな刺激を得た大会となったようだ。

海外の大会ではオープン種目やエキシビションとして、パラリンピック種目が組み込まれることも少なくない。日本パラ陸上競技連盟の強化委員長、安田亨平氏は、「健常者でも障がい者でも、世界を目指すという同じ目標をもつ選手同士。同時開催の第一歩として、このような舞台をいただけたことはありがたい。実際に義足をつけて走る姿を見てもらえれば、スピード感も感じてもらえるはず。今回は100mの全米トップ3も出場してくれたことで、パラ陸上のレベルの高さも感じてもらえたのではないか」と感慨深く語った。

また、2020年東京パラリンピックの成功に向けて、パラアスリートやパラ競技の日本国内での知名度アップは至上命題だ。安田氏は、「課題は、昔から同じで(多くの人が)『知らない』こと。テレビ中継もある今大会のような機会は、一般の方だけでなく、障がいのある当事者にもこんなスポーツがあることを知ってもらえるチャンスになるだろう。『やってみよう』と参加を促す貴重な機会でもある」と話した。今大会の試みは、その第一歩。今後のさらなる広がりを期待したい。

■佐藤圭太のコメント

「日本ではパラリンピック選手がこんな大勢の観客のなかで走ることはあまりないので、感謝している。大きな歓声や拍手は気持ちよく、(2012年の)ロンドンパラリンピックがよみがえった。日本では、パラリンピックという言葉は知っていても、実際に見て知っていただく機会はまだ少ない。2020年東京大会につながる大きなレースだったと思う」

■ジャリッド・ウォレスのコメント

「健常者と障がい者が一緒に競技することは、アメリカでも一般的になり始めたばかり。先日、そういう競技会が行われたが、とてもよいことだと思う。今日はアメリカから招待してもらっていい経験になったが、川崎のような大会がアメリカでももっと増えたらいいと思っている。この大会は初めての出場だが、できれば来年もまたここに戻ってきたいし、もっといいタイムで走りたい」

■鈴木徹のコメント

「(義足アスリートとしてこの舞台に立ったことについて)観客の皆さんが義足のことを少しでも知って、帰ってくれたらいい。『義足で高跳をやっていたよ』と広めてもらえたら、2020年の東京大会に向けて(パラリンピック競技が)認知されていくと思う。またパラリンピック種目の100mには、11秒台前半で走るアメリカ選手が出場してくれた。いいタイムの走りを見てもらって、『スゴイ』と思ってもらうことも大事。僕もこれからまた頑張りたい」

(寄稿/星野恭子)

【外部リンク⇒】セイコー・ゴールデングランプリ陸上で見た「2020年東京パラまでに必要なこと」(瀬長あすか)