責任と喜びを感じる中で生まれた変化
一人のテニスプレーヤーとして、彼を支えているもの。それは、「もっと強くなりたい」という飽くなき向上心だ。素人目には完全無欠に思えるプレーも、本人によるとまだまだ「のびしろ」があるのだという。
現在は、丸山弘道コーチと「他の技術と比べて安定感に欠けている」という、フォアハンドの強化に取り組んでいる。破壊力を増したフォアクロスショットは、5月末に飯塚で行われたジャパンオープンでも、ここ一番の決め球として、見事な冴えを見せていた。
一番近くで国枝を見ている丸山コーチが、ここ最近の彼の微妙な変化について話してくれた。
「もともと真面目な男ですが、練習にのぞむ態度が、“泣く子も黙る”ような、そんな迫力が出てきましたね。なんと表現すればいいのかわかりませんが、気持ちは引き締まっているんだけれど、ちょっと笑いも交えつつ、コートに立っている、というような。そういう気持ちの余裕は、とても大事なことなんです。ロンドンパラリンピックを迎えた時の直前練習でも、この感じでいたい、と思いましたね」
思いは2012年、ロンドンパラリンピックへ
現在、国枝は世界ツアーの真っ最中だ。6月の全仏オープンでは、決勝で苦しみながらもローランギャロスのクレーコートを制し、1月の全豪オープンに続いて、グランドスラムでの優勝を成し遂げた。つづいて7月にはウィンブルドン、9月には全米オープンという、ビッグトーナメントが待っている。それらに勝つための努力は、すべて3年後のロンドンパラリンピックで2連覇するという最大の目標につながっている。
「パラリンピックのような大勢の観客の前で試合ができることは、本当に選手冥利に尽きます。あれほどの幸せを味わえることは、他にないなって思うんですよ。そのためには、やはり“人々を魅了するテニス”をして、なおかつ勝ち続けなければいけない。それが自分にできる一番のことだと思って、取り組んでいきます」
「勝利への執着心」を胸に抱き、未来を切り拓く旅がはじまった。彼はそこに、どんな道標を残していくのだろうか。プロ車いすテニスプレーヤー・国枝慎吾のこれからを、また見てみたくなった。
(了)
(記事:荒木美晴 撮影:吉村もと)
アスリート・プロフィール
国枝慎吾(くにえだ・しんご)
1984年2月21日生まれ。千葉県在住。9歳の時に脊髄腫瘍のため車椅子に。11歳から(財)吉田記念テニス研修センターにて車いすテニスをスタート。17歳から丸山弘道コーチの指導を受け始める。2004年アテネパラリンピックでは、斎田悟司と組んだダブルスで優勝。2007年に、車いすテニス界史上初の年間グランドスラムを達成。北京パラリンピックでは、斎田と組んだダブルスで銅メダル、シングルスで金メダルを獲得した。2009年4月に、日本の車いすテニス界初のプロ転向を表明した。