Pick up Athletes, 車いすテニス — 2009/1/21 水曜日 at 4:44:26

未開の荒野へ――。歩みを止めない世界王者(前編)

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未開の荒野へ――。歩みを止めない世界王者(前編)〜原点を知ったアスリートの試練と未来〜

名実ともにトップアスリートに駆け上がった2008年

「健常者とやってるみたいだよ…」。対戦相手のつぶやきが聞こえる。12月中旬。千葉県柏市にある、(財)吉田記念テニス研修センターで行われた「NEC全日本選抜車いすテニス選手権大会」のコートの上に、国枝慎吾の姿があった。「前日に、体調を崩しちゃって」と苦笑いする彼の体は、たしかに動きが重いようにも思えた。しかし、その全身から放たれるショットは、あの時と同じように、鋭い軌道をたどっていた。

北京では、あふれ出す涙を抑えることができなかった=北京パラリンピック・オリンピックグリーンテニスセンター
北京では、あふれ出す涙を抑えることができなかった=北京パラリンピック・オリンピックグリーンテニスセンター

2008年9月15日、北京パラリンピックのテニス会場・オリンピックグリーンテニスセンターのセンターコート。男子シングルス決勝で、前回金メダリストのロビン・アマラーン(オランダ)をストレートで破り優勝した国枝のパフォーマンスに、世界が沸いた。

国枝の武器は、サーブアンドボレーなどこれまでにない攻撃的なプレーと、ワンバウンドで撃ち返せる(※)俊敏なチェアーワーク。そして、頂点を決める試合のここ一番で見せた、正確無比かつ強烈なバックハンドトップスピンは、「世界のクニエダ」の代名詞ともなった。

車いすテニス界史上初のグランドスラムとパラリンピック制覇の偉業達成のニュースは、日本国内だけでなく、世界のメディアを通じて発信された。昨年12月には、五輪のメダリストと肩を並べ、「毎日スポーツ人賞国際賞」を受賞。また、国際テニス連盟が選ぶ2008年の「世界のチャンピオン」のひとりに選出され、かのラファエル・ナダルらとともに、その名を歴史に刻んだ。「車いすテニスプレーヤー・国枝慎吾」の名前は、一気に世間に知られることとなった。

世界一という称号が与えた、栄光と苦悩

世界ランキング1位で迎えた北京パラリンピック。多くの人が、国枝の優勝を信じて疑わなかっただろう。事実、スコアだけを見れば、初戦から相手に1セットも与えない完全勝利だった。だが、国枝はこのパラリンピックを「他の大会とは全く別物の、極限の状態でプレーする大会だった」と表現し、「グランドスラムとは比較にならないほどの緊張感」に襲われたと告白する。それだけ選手にとって特別な存在である、4年に一度の大舞台。しかも、ライバルを追う立場だったアテネの時と異なり、北京では勝つべき相手は、「自分自身」。その難攻不落の壁を、どうやって乗り切ることができたのか。

その答えは、アテネ以降の4年間のなかに見ることができる。

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