「第22回全日本パラ・パワーリフティング選手権大会」が29日、東京都江東区の東京国際クルーズターミナルで開かれた。コロナ禍で中止や変更を余儀なくされた大会や合宿、そして東京2020大会の代表選考レースと、怒涛のパラリンピックシーズンを経て、多くの選手が新たな想いを胸に今大会に出場した。
女子55㎏級の山本恵理(日本財団パラスポーツサポートセンター)も、そのひとり。自身が持つ日本記録タイとなる63キロに挑戦するも失敗し、記録は第1試技で成功させた60キロにとどまったが、「戻ってきたな、と今日実感できた」と力強い口調で試合を振り返った。
山本は東京パラリンピック出場に向け強化を図っていた2020年8月に亜急性甲状腺炎を発症。約2カ月間練習ができなかった。翌21年の全日本に階級を変えて出場した際は、「病気と共存している状況」と話し、一時期は50キロも挙げられなかったと明かしていた。その後も思うように回復せず、東京大会の代表は逃した。
次のパリ大会に向けては「目指さないという選択肢もあった」ほど、気持ちは不安定だったという。そんな山本が“自分の変化”を感じたのが、11月末からジョージアで開催された世界選手権だ。50キロを挙げて17位という成績だったが、「パワーリフティングが楽しいと思えた」。今大会も納得いく結果ではなかったが調子は上向きで、「いまの等身大の自分を楽しんでみよう」と前向きにとらえることができた。
さかのぼると山本が日本記録を更新したのが、2019年9月。「つまり、停滞して3年目」と苦笑いを浮かべる山本の爪先には、星や月などを散りばめた銀河をイメージしたネイルが施されていた。「『明けない夜はないよ』と言われることがあるけれど、今は夜が明けるのを待つより、この夜を楽しみたいと思って」
一説によると、満ち欠けして姿を変える月は、「新しい自分へ」という意味があったり、「成長の象徴」とも言われているらしい。苦難のなかでも自分と向き合うことをやめなかった山本が、確かに踏み出した第一歩。これからも彼女の挑戦を応援したい。
※大会レポートは後日、公開します!
(取材・文・撮影/荒木美晴)