圧巻のパフォーマンスの先に待っていたのは、自分自身に打ち勝った喜びの涙だった。
東京2020パラリンピックの車いすテニス男子シングルス決勝が4日、有明テニスの森で行なわれ、第1シードの国枝慎吾(ユニクロ)が、第8シードのトム・エフべリンク(オランダ)を6-1、6-2のストレートで下し、2大会ぶりの金メダルを手にした。前回リオ大会では3連覇を期待されながら肘の不調で準々決勝で敗退。あれから5年、復活に向けて壮絶な努力を重ね、再び栄光の場所に戻ってきた。
第1シードの国枝は、トーナメントの2回戦が初戦。準決勝ではリオ大会金メダリストのゴードン・リード(イギリス)をストレートで下して、決勝に駒を進めた。一方、エフべリンクは、強打を武器に準決勝で優勝候補の一角である第2シードのアルフィー・ヒューイット(イギリス)を撃破。3度目のパラリンピックで初めてファイナルに進んだ。
ここまでの通算対戦成績は国枝の9戦全勝。勝利のカギとなるのは、エフべリンクの強烈なサーブの攻略だ。国枝を含め、男子トップ選手のファーストサーブは130キロ台が多いが、彼は140キロ、150キロ台をバンバン打ってくる(ただし、フォルトも多い)。
この日も第2セット第1ゲームの1本目で最速の「174キロ」をマークした。対して国枝は「僕の武器はサービスリターンのミスの少なさと、そこからの攻撃力」と言うように、球筋を見極めて確実に相手コートに返し、ラリーへと持ち込んでポイントを重ねていった。
国枝の冷静なプレーが試合を支配し、会場の雰囲気が少しずつ変わっていく。パラリンピックの決勝戦という特別な舞台でも「やるべきこと」に徹する姿に、王者の風格が漂っていた。
国枝の凄みを目の当たりにしたエフべリンクは試合後、「第2セットからは、もう楽しんじゃえ! という感じだったよ。シンゴはこんなプレッシャーのなかで自分のプレーができる。彼は金メダルをもらうべき人だね」と称えた。
国枝はリオ大会で心身ともに挫折を味わった。長期休養を余儀なくされ、復帰したのは翌年の4月。肘に負担がかからない打ち方を模索し、とくに大きな原因となっていたバックハンドの改良に注力した。グリップの握り方も、ラケットも、車いすも変えた。2018年の全豪オープンで3年ぶりに優勝したあと、「新しい角度からテニスを見たい」と同年4月から現在の岩見亮コーチとタッグを組み、新境地を開拓してきた。
2020年の全豪オープンも2年ぶりに制し、東京パラリンピックへ勢いをつけた。しかし、新型コロナウイルスの影響でツアーは中断し、大会は延期が決まった。他のスポーツに先駆けテニスはツアーを再開。国枝も大会を転戦するが、思うように勝ち進めない日々が続いた。心とラケットに刻む言葉『オレは最強だ!』を何度言い聞かせても、「心の奥に自分を疑う気持ちが出ていた」と振り返る。
今年3月ごろから「グランドスラムより、常にパラリンピックのことが頭にある状態」だった。しかし、全豪、全仏、ウィンブルドンといずれも敗れたことで、追求してきたテニスに迷いが生じていた。
何度も調整を重ねてきたバックハンドは、パラリンピックの一週間前にようやく安定したばかり。重圧を感じ、眠れない日々が続いていたと、国枝は明かす。目の前にあるのは、苦しく、簡単には進めない道。だが、目指しているのは最高峰の頂点だ。葛藤を胸に留め、「金メダルを獲って、最強を証明したい」と奮い立った。
その足がかりとなった試合がある。準々決勝のステファン・ウデ(フランス)戦だ。ウデは国枝が尊敬する50歳のレジェンドで、ロンドンパラリンピックの銀メダリスト。61回目の対戦となった試合は序盤、ウデの強打やロブなど多彩なショットに揺さぶられ、リードを許す。
だが、苦しい場面で頼りになったのが、苦労して取り戻したバックハンドのダウンザラインだった。国枝の代名詞でもあるこのショットが決まり出すと、流れは国枝に傾き始めた。じわじわとウデにプレッシャーをかけ、試合を優位に進めることに成功。
「準決勝の自分に期待が持てる試合だった」
試合後の国枝の表情には、自信がよみがえっていた。
激闘を終えた後、コート上でふたりの間にこんな会話があったという。
「パリで会おうぜ」
加えてウデは、こんなコメントを残している。
「シンゴは車いすテニスを進化させた。一緒に戦うことを誇りに思う」
次回のパラリンピックはウデのホーム、フランス・パリ。3年後、レジェンドたちの熱戦の再現に期待がかかる。
国枝の東京パラリンピックは、通算4個目となる金メダル獲得で幕を下ろした。このあと、現在ニューヨークで開催されている全米オープン(車いすの部)に、「最強」の看板を引っさげて出場する予定だ。「ゆっくりするのは、そのあとかな」と笑う国枝。まだ手にしていない今季初のグランドスラム優勝へ。リオから5年間の集大成を全米オープンで飾るつもりだ。
※この記事は、集英社『Web Sportiva』からの転載です
(取材・文/荒木美晴、撮影/植原義晴)