【Writer's eye】アルペン村岡桃佳、メダル連発もまだ通過点。 最終日まで「攻める」

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平昌大会でソチ大会の悔しさを払拭する攻めの滑りをした村岡桃佳=旌善アルペンセンター(撮影:フォトサービス・ワン/植原義晴)

平昌パラリンピック競技初日の10日、旌善アルペンセンターでアルペンスキーの滑降が行なわれ、女子座位の村岡桃佳(早稲田大)が銀メダルを獲得した。また、女子に続いて行なわれた男子でも座位の森井大輝(トヨタ自動車)が2位に入り、日本チームに勢いをつけるスタートを切った。

今大会の日本勢メダル第1号となった村岡。レース後に報道陣に囲まれ、笑顔を見せながら「メダル獲得第1号になって、勢いをつけたいと思って挑んだ。率直に言って、ホッとしています」と語った。

座位とは、体幹や下肢に機能障がいや切断があるクラス。シート、フレーム、サスペンションから構成されるチェアスキーに乗り、両手にアウトリガーを持って滑走する。

今回、滑降のレースには7人がエントリー。直前に滑ったメダル候補の2選手が転倒する波乱のレースとなった。村岡もスタートで待たされ、自分も転倒するのではという「恐怖のレース」に挑む心境だった。「完走目指して無難な滑りをすれば、もしかしたら表彰台が狙えるんじゃないか」。そんな思いも、一瞬頭をよぎった。

気温が上がり、太陽に照らされた雪はさらに難しいコンディションになっていた。だが、スタート位置につくと、「やっぱり勝ちにいこう」と自然と腹が据わった。転倒の不安と戦いながら、追求してきた攻めの滑りに徹することができた。そこが、ソチ大会からの4年間で変化した部分だと、村岡は自分自身を分析する。

「今までは、そういう気持ちになったとしても、それを滑りで表現できない自分がいた。だから今日、その気持ちを持てたこと、そしてベストの滑りができたことは自分の中での成長だと思います」

村岡は4歳の時に横断性髄膜炎を発症。下半身がマヒし、ふさぎがちだった村岡の気持ちを変えたのが、車いすを使ったさまざまなスポーツだった。車いすテニスや陸上などに挑戦し、父親と参加したチェアスキーの体験会をきっかけに、中学2年から本格的にアルペンスキーを始めた。

国内では数少ない女子選手。すでに世界を主戦場に活躍していた男子の森井や狩野亮(マルハン)らから直々に技術や用具について指導されると、そのすべてを吸収し、ぐんぐんと上達した。ナショナルチームは男女合わせて、ひとつのチームとして海外遠征などに出るため、女子選手としての苦労もあっただろうが、それを感じさせない成長曲線を描いていった。

キレのあるカービングターンを武器に、高校2年でソチパラリンピックに初出場。得意の大回転で5位入賞の成績をおさめたが、スーパー大回転は旗門不通過で失格、回転は9位と納得いくレースができず不完全燃焼に終わった。

そのなかで、森井や狩野がメダルを獲る姿を目に焼きつけた。大会終了後、「先輩たちのような滑りがしたい。早く練習がしたい」と語っていたのが印象深い。高校卒業後は、早稲田大学にトップアスリート入試で入学。名門のスキー部に所属し、寮生活を送る。1年の半分はワールドカップや合宿などで不在だが、学業との両立を図りながら、競技に取り組んでいる。

開幕前の3月3日に21歳になった村岡。アルペンスキー競技においては、男女を通して最年少でのメダル獲得となった。

「ここまでたくさんの人と関わって人間性の部分でも成長できたし、用具も信頼して挑めているので、4年間のすべてがここにつながっていると感じる」と村岡。さらに、「こうしてまたパラリンピックに来られたのも、メダルを獲得できたのも、支えてくださった方々のおかげ」と感謝の気持ちを忘れない。

今大会は日本選手団の旗手を務め、9日の開会式の入場では堂々、先頭で行進した。入場前は大役を前に大きな緊張感に襲われたが、一歩会場に入ってみると想像以上の熱気を感じ、緊張が解けた。2度目のパラリンピックで、独特の空気感を笑顔で楽しむ余裕があったことも、今回の結果につながった。

村岡は今大会、5種目すべてにエントリーしている。11日には、前回のソチでは旗門不通過で失格となったスーパー大回転で、銅メダルを獲得した。

13日にはスーパー大回転と回転を1本ずつ滑って、その合計タイムで競うスーパー複合に出場予定。そして15日の回転、最終日の大回転と、今季好調の技術系種目で大会を締めくくる。

天候などの影響でレース予定に変更がなければ、「(この大会は)私で始まり、私で終わる」という、記憶に残るパラリンピックになりそうだ。気負いなく、複数種目の表彰台を目指す村岡にとって、序盤の2つのメダルも「通過点」。最高のスタートダッシュを切った日本のエースは、最終日まで平昌の雪上に攻めのシュプールを描くつもりだ。

(取材・文:荒木美晴、写真:フォトサービス・ワン/植原義晴)

 

※この記事は、『Sportiva』からの転載です。