平昌パラリンピックのパラスノーボードは16日、旗門を設置したコースを3回滑走し、最速タイムを競うバンクドスラロームが行なわれ、男子LL2(下肢障がい)の成田緑夢(近畿医療専門学校)が金メダルを獲得。平昌大会からの新競技で初代王者に輝いた。成田は12日のスノーボードクロスでも銅メダルを獲得している。
前日の夜から急激に気温が下がり、バーンは硬く締まっていた。そのなかで、成田が圧巻の滑りを見せた。
1本目はリズムよくスタートを決めると、低い姿勢でスピードに乗りトップタイムをマーク。「バーンがめちゃめちゃ硬く、足が抜けたら終わり」と感じた成田はセッティングを変更し、2本目は小回りを意識して攻めた。3本目は前半のバンクで上から下へと切るように滑るラインを選択。それぞれでタイムを更新し、最後のランではたったひとり、圧巻の48秒台を叩き出した。
スノーボードクロス覇者のマティ・スール・ハマリ(フィンランド)や前回ソチ大会優勝(アルペンスキーの1種目として実施)のエヴァン・ストロング(アメリカ)ら、強力なライバルたちも滑るたびに記録を更新し、猛追した。1番滑走で2本目までトップの成田にプレッシャーがかかる状況だ。
通常、3本滑るバンクドスラロームは、後になるほど雪質も荒れタイムが出にくくなるが、「今回は非常に板が走り、レア」(成田)なコース。3本目で巻き返される可能性があり、自身も「3本目を失敗したら、表彰台に乗れなくなると考えていた」。成田はそのなかでも冷静に状況を分析し、今大会のテーマである「挑戦」を貫き、体現してみせた。
「セッティングやラインを変えるのは、当然リスクがある。でも、優勝することにフォーカスしていたわけではなく、順位が何番であれ、また失うものがあったとしても、挑戦することが目標だったので、ワクワクしていた」と成田。
結果としてついてきた「金メダル」については、「LL2のレベルは高く、今回は誰が勝ってもおかしくない僅差だった。ほんの少しのことでゼロコンマ何秒変わる世界で優勝できたのはアスリートとしてうれしい。最高の気分です」と語る。
「障がいを持っている人、ケガをして引退を迫られている人、一般の人に夢や感動、希望、勇気を与えられるアスリートになりたい」
成田がよく口にする言葉だ。今回のパフォーマンスで、その想いは多くの人に届いたに違いない。
男子LL1(大腿障がい)の小栗大地(三進化学工業)は、転倒があり6位だった。1本目は1分00秒16。2本目はコースアウトして失格。最後のランではカーブでバランスを崩しながらも滑り切り、58秒47をマークして意地を見せた。
「3本とも転倒してしまい、いいところがなく、残念。まだまだ実力が足りないし、練習も足りない」と小栗は振り返る。
14あるバンクのうち、序盤の4番目で手こずった。手前の落ち込みで身体が浮き、傾斜がきつくなる後半でターンが遅れて体勢を崩した。12日のスノーボードクロスでは、決勝トーナメント1回戦でスタートゲートの故障で40分ほど待たされる不運もあり、7位に終わっている。
小栗は元プロのスノーボーダー。毎年夏に遠征していたニュージーランドで、今大会アルペンスキーで出場している三澤拓(SMBC日興証券)と知り合った。右脚1本で急斜面を滑走する三澤の姿に、大きな刺激を受けたという。
その後、小栗は職場の事故で右脚を切断。退院した時に三澤に連絡を取った。
「普段どう生活しているのかアドバイスをもらった。拓の滑りを知っていたので、脚を切断した時も冷静でいられたと思う」
パラスノーボードの選手に転向した後は、パラリンピックを目指してきた。ウエアをカットし、義足をむき出しで滑るのは、「義足でもスノーボードやスポーツができることを伝えるため」と小栗は話す。今大会は2種目とも表彰台には届かなかったが、悔しさの向こうに清々しさも見えた。
「パラリンピックの雰囲気を味わえたことは大きな収穫。次はまた、新しいチャレンジをしたい」
小栗と同じ男子LL1の山本篤(新日本住設)は、スノーボードクロスで12位だった。この日のバンクドスラロームは1本目のバンクで転倒して失格。2本目も後傾したままバランスを崩し、バンクに突っ込み転倒、3本目は棄権した。日本パラリンピック委員会によると、山本は2本目の転倒の際に左肩を脱臼したものの整復し、骨折はしていないとのこと。
山本は夏のパラリンピックでは、北京、リオの2大会で陸上・走幅跳の銀メダリストだ。今回はIPC(国際パラリンピック委員会)の招待枠で、陸上の一方で続けていたパラスノーボードの代表に選ばれた。走幅跳のライバルで、リオで銅メダルを獲得し、昨年7月のパラ陸上世界選手権で山本の3連覇を阻んだダニエル・ワグナーも今回のパラスノーボードにデンマーク代表として出場し、夏のメダリストの”雪上対決”にも注目が集まっていた。ワグナーはスノーボードクロスで8位、バンクドスラロームで9位だった。
それぞれが決意を持って臨んだ平昌パラリンピックで、結果は三者三様となった。今後は、4年後の北京パラリンピックまで待たずとも、今大会で知名度が上がったパラスノーボードに注目していきたい。
(取材・文:荒木美晴、写真:フォトサービス・ワン/植原義晴)
※この記事は、『Sportiva』からの転載です。