【Writer's eye】競技歴1年弱でアジア5位。パラ・パワーリフター樋口健太郎が歩む道

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男子72㎏級で5位入賞を果たした樋口健太郎(撮影/植原義晴)

パラバドミントンやボッチャなど、アジア勢が世界を席巻する競技がいくつかあるが、パラ・パワーリフティングもそのひとつ。インドネシア・ジャカルタで行なわれているアジアパラ競技大会では、競技初日の7日から9日までの3日間のあいだに、はやくも男女あわせて3階級で世界新記録が樹立された。

日本勢は女子2階級、男子9階級にエントリー。男子72kg級の樋口健太郎(日本パラ・パワーリフティング連盟)は、初出場ながら5位に入る健闘を見せた。6日の開会式に出席後、体調を崩したものの、すぐに回復。試合日まで時間が空いていたが、「普段から間が空いても大丈夫なように練習していたので」と意に介さず、グッドパフォーマンスにつなげた。

軽快な音楽とカラフルな照明で演出されるなか、樋口はいつもどおりのポーカーフェイスでステージに登場。第1試技で156kgを軽々と挙げると、第2試技で9月のアジア・オセアニア選手権で出した日本記録を1kg上回る166kgをマーク。第3試技ではさらに5kg増やして171kgに挑戦し、見事成功した。

大会前に「アジアパラでは重さにこだわりたい」と話していた樋口。「今年中に170kg達成」の目標を前倒しでクリアし、調整が順調に進んでいることを感じさせた。

最後の試技ではタジキスタンの選手と競り合い、最終重量を設定した。「俺はまったく駆け引きは関係ない。コーチの考えに従って、挙げるものを挙げるだけ」。結果、タジキスタンの選手がひとつ上の4位になったが、「人は人、俺は俺」と気にしない。実際、挙上した感覚としては「もっといける」と余力を残していたが、「目の前のことを一つずつやっていくだけ。東京までの2年間で調整していくので、これでいいんです」と、あくまでマイペースに、自分との戦いというスタイルを崩さない。

競技を終えても表情ひとつ変えず、目標の記録を追い続ける樋口健太郎

成功しても、ステージ上でガッツポーズも笑顔も見せないのは、他の選手と一線を画す。何のパフォーマンスもしないのは、「まだまだ弱いから見せられない」と言う。今は2020年への通過点。

「そういうのは強くなったら、かな。でも本当はね、うれしい」

そう言うと、樋口は初めて笑顔を見せた。

普段は東京都荒川区の小学校で理科の非常勤講師として教壇に立つ。アジアパラ大会前は、児童たちに壮行会を開いてもらい、寄せ書きをもらった。「頑張ってきてねって。やることはやったよって報告ができるかな」。現在は、週に3回は複数のコーチの指導を仰ぎ、トレーニングに励む。「仕事も練習もしっかりやる。手を抜かない」。仕事と競技の両立が、樋口をさらに強くしている。

昨年9月、オートバイを運転中に後方から車に衝突され、手術を重ねた結果、右大腿部から下を切断した。義足の生活になった樋口がまず取り組もうとしたのは、「スポーツ」だった。受傷前、スポーツトレーナーとしての指導歴があったこともあり、すぐにパラ・パワーリフティングへの挑戦を決意。事故から3カ月後の12月には、入院中の病院から特別に許可を得て標準記録突破トライアルに挑戦。見事クリアして全日本選手権に出場し、いきなり優勝して周囲の度肝を抜いた。

この時の記録は136kg。それから本格的に競技を始め、この1年弱で35kgも記録を伸ばしている。この成長曲線にさらなる期待が高まるが、世界のトップ選手との差はまだ大きい。今大会、金メダルを獲得したイランの選手は209kgから、銀メダルを獲得したイラクの選手は213kgからスタートしている。しかも優勝したイランの選手は、特別試技で229kgの世界記録更新に成功し、樋口の目の前で世界一の力を示した。

「すごいなと思うし、やっぱり悔しいですよね」

「はやくこれに追いつけるように頑張りたいなと思います」と語り、再び表情を引き締める。

大腿切断者などの陸上チーム「スタートラインTokyo」にも参加している。樋口には、義足ユーザーとしてパラ競技を通して障がい者の社会的認知度を向上させたい、というもうひとつの目標がある。いろいろな義足があることを知ってもらおうと、今年5月の「チャレンジカップ京都大会」では、スポーツ用の板バネの義足で出場したりもした。教師、そして競技者という強みを生かして、義足の体験会や講演会などにも積極的に協力していきたいと話す。そのためにも、自身の競技パフォーマンスをさらに磨いていくつもりだ。

過去に75kg級という階級で、今大会は別階級で出場している宇城元(順天堂大/80kg級)や大堂秀樹(日本パラ・パワーリフティング連盟/88kg級)らが190kg近くを挙げていたと言い、「日本のパワーリフターの先輩たちは、本当にすごい」と樋口は口にする。

まずはその高みへの第一歩として、次の目標設定を「来年中に180kg以上を挙げる」と決めている。実際に180kgに成功すれば、世界ランキングのトップ10以内が見え、翌年の東京パラリンピックの表彰台も近づいてくる。

やればやるだけ伸びると言われるパラ・パワーリフティングの世界。樋口の年齢は45歳だが、まだまだ伸びしろが十分にある。これからどんな飛躍をみせてくれるのか、注目だ。

(取材・文/荒木美晴、写真/植原義晴)

※この記事は、『Sportiva』からの転載です。