車いすテニス — 2011/5/13 金曜日 at 14:08:24

いま、自分にできること〜被災地支援の呼びかけ/車いすテニス・古賀貴裕選手

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ダンロップ神戸オープンの会場に展示されたユニフォーム。米国の大会に参加した選手らが、日本の復興を願ってサインを書き入れた/撮影:荒木美晴(4月21日=兵庫県三木市・ブルボンビーンズドーム)

4月21日から兵庫県三木市で開催された国際車いすテニストーナメント「ダンロップ神戸オープン2011」の会場で、あるユニフォームが飾られていた。白いユニフォームの胸の部分には、「がんばろう日本 We are thinking about you, JAPAN」の文字。そして、その周りにはたくさんのサインが書き込まれていた。東日本大震災の被災者へあてた、アスリートからの応援メッセージだ。

国際大会で各国選手にメッセージの呼びかけ

これらのメッセージは、震災から12日後の3月23日からアメリカ・ルイジアナ州バトンルージュで開催された国際大会「ケジャン・クラシック2011」で、各国のプレーヤーが書き込んだものだ。その姿を見て、「僕にも書かせてほしい」と、コーチや大会スタッフ、ボランティアらも続々とペンを取った。真っ白だったユニフォームは、あっという間に皆の想いで埋め尽くされた。

この企画を考え、ユニフォームを現地に持ち込んだのは、クアードクラス(※)に出場した日本の古賀貴裕選手だ。出場取りやめも考えたが、「海外に行く自分ができることをやろう」と心に決め、参加を決断。渡航前に、国枝慎吾選手(ユニクロ)に声をかけ、2枚のユニフォームを提供してもらった。

「アメリカでもこの災害は連日大きく報道されており、みんな日本のために何かしたい、と思っている様子だった。こうして形にしてメッセージを伝えられることができてよかった」と古賀選手。

ユニフォームは、5月のジャパンオープン(福岡)の会場で展示された後、被災地である仙台オープン、三沢オープンの大会本部に寄贈される予定だ。

※上肢にも障害があるクラス

大会出場を決断した同僚のサポート

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被災地への想い、テニスへの想いを語ってくれた古賀貴裕選手

古賀選手は、Yahoo! JAPANを運営する「ヤフー株式会社」(本社:東京都港区)に勤めるサラリーマン選手だ。テニスの練習は週6日。出勤前と勤務後に、千葉県柏市にあるTTC(吉田記念テニス研修センター)で、汗を流している。

震災当日、都内も混乱した。古賀選手は会社から都内の自宅マンションまでは帰れたものの、マンションのエレベーターの復旧が遅れたため利用できず、車中で一夜を明かした。車椅子で生活する古賀選手にとって、車はなくてはならない移動手段。だが、幸いにもガソリンが尽きる最悪の事態は免れ、渡航前の最終調整も再開できた。

会社では、メディア開発部に所属し、CSR関連事業に携わっている。震災後、社内は情報提供や省庁・自治体サイトのバックアップと、担当部署では24時間体制の業務が続いた。そして、インターネットで募金ができる「Yahoo!募金」(緊急災害募金)は、予想をはるかに超え、数日で10億円を突破した。

実は7年前にこの募金システムを中心となって立ち上げたのが、ほかならぬ古賀選手だ。現在は同じ部署のサポート的な立場にいるが、不眠不休で対応に追われる同僚たちを見て、一度はアメリカ遠征の中止を上司や仲間に申し出たという。

だが、上司はきっぱりと、こう言い切った。
「こんなときだからこそ、行って来てください」

この時を振り返り、古賀選手は言う。
「『仕事の代わりは、ある意味いくらでもいる。でも、テニスを通じて日本を元気づけることは、この会社では古賀さんだけ』と背中を押してくれました。上司は、『遠征に行くのは前からわかっていたこと。古賀さんがいなくて仕事がまわらなくなったら、それは自分の責任だ。だから心おきなく行って来い!』とも言ってくれた。徹夜続きで疲れているだろうに、こんなに見事に送りだしてくれるなんて、正直、涙が出ました」

7年前に自分が企画したサービスが機能して募金を集めている。そして、それを仲間が必死に支えてくれている。では今、自分には何が出来るか。そう考えた結果、今回の応援メッセージにたどり着いたのだ。もう書くスペースもないほど、サインで埋まったユニフォーム。古賀選手の思いは海を超え、多くのひとたちに伝わった。

選んだ道は「戦うサラリーマン選手」

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目標は、ロンドンパラリンピック出場!

現在は、仕事の一環としてテニスができる環境に身を置く古賀選手。だが、テニスと仕事の両立は、はじめから上手くいっていたわけではない。2007年に日本代表としてワールドチームカップ(国別対抗戦)に出場した時は、長期の不在により業務面への支障もきたした。

当時、テニス選手としてはまだ結果が出せておらず、渡航費や競技用車いす、ラケットなどのスポンサーはついていない。会社の採用形態には、アスリート採用はなく、このままではテニスで上を目指せない。だが、「仕方ない」と諦められなかった。何度も上司や仲間たちに相談を重ねた。そして転職を覚悟して人事へ相談してみると、担当者は口を開いた。「考えてみよう」。こうして、働きながらテニスができる環境を徐々に整えていった。

仕事はこれまでの責任あるポジションから、サポート的な立場へと変わった。だが何よりも、テニスが続けられる喜びが勝った。

来年のロンドンパラリンピックのクアードクラスに出場できるのは、世界ランキング上位者とITF(国際テニス連盟)推薦者を合わせた計16名。古賀選手の現在の世界ランキングは24位(5月9日時点)。パラ出場という目標に向かって、今年は12大会以上の世界ツアーを転戦する予定だ。

古賀選手は、「会社や現場の同僚の理解とサポートがあって今の自分がいる。結果を出して恩返ししたい」と力強く話し、飛躍を誓う。

☆現地の様子はコチラ→日本車いすテニス協会「ITFツアー参加選手から応援メッセージ集まる!」

(取材・文/荒木美晴)