再起誓う日本アイススレッジホッケー もう一度、世界のトップに立つために

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アメリカが優勝を飾ったアイススレッジホッケー。日本はこの舞台で戦うことはできなかった(撮影/吉村もと)

前回は銀メダル それでも逃した出場権

ソチパラリンピックのアイススレッジホッケーは現地時間の15日に決勝が行われ、米国がロシアを1−0で下し、金メダルを獲得した。

レシーバーへのパスの精度、タイミングよく走りこむスケーティング、パックを確実にキープするハンドリング。それにスピーディな攻守の切り替えと、当たり負けしない強いフィジカル。目の前に広がるハイレベルなその光景は、明らかに4年前とは異なっていた。出場した上位チーム、とくに世界トップ3の米国、ロシア、カナダは他国のレベルを突き放していた。

優勝候補のカナダ、強豪のノルウェーも決勝に残れなかった

日本は前回のバンクーバー大会で悲願の銀メダルを獲得。だが、ソチパラリンピックには出場していない。2012年の世界選手権で7位に沈み、翌年はBプールに降格。パラリンピック最終予選にまわったが、そこでも敗れてしまったからだ。主力選手の代表チームからの離脱と、長年の課題だった世代交代の着手が遅れたことが大きな要因で、各国の関係者から「日本はシルバーメダル・ハングオーバー」と否定的に捉えられた。日本が足踏みをしている間に、他国は研さんを積み、確実にレベルアップを図っていた。そして、バンクーバー大会後に国が主導して本格的に代表チームが活動を始めたロシアが、日本と入れ替わるように台頭してきた。長期合宿時はともに生活し、1日中氷上練習やトレーニングをしていると聞いた。日本とは異なり、パラリンピックで活躍すれば五輪と同じ金額の報奨金が与えられ、その後の生活も保障されるという背景も、選手のモチベーションになっているのだろう。

アメリカ(写真)、カナダでは、プロとして活動する選手も多い

米国やカナダの選手の多くは、アイススレッジホッケーを仕事としているプロアスリートだ。それぞれジュニアチームも存在するほど国内での競技人口が多く、若い選手がどんどん育成されるため、“代表”の座にあぐらをかいているとトライアウトで落とされることもあるシビアな世界だ。一方、日本国内の競技人口はわずかに30〜40人程度といわれる。4つの国内チームがあるが、年に1〜2回のクラブ選手権以外で順位を争う大会はなく、北米のように普段から選手間で競い合うという環境がない。個人のトレーニングも危機感を持って取り組めるかといえば、ほぼ全員が仕事をしながら競技を続けているため、現実は難しい。新人選手の勧誘も行っているが、選手個人レベルのやり方では、なかなか集まらないのが現状だ。

パラリンピック出場を逃した余波は、多方面に影響している。ソチ関連の報道で取り上げられる機会が激減したことで、まだこの競技を知らない人に存在を伝える貴重なチャンスを失った。また、JPC(日本パラリンピック委員会)の強化費においても、銀メダル獲得後から比べると5分の1に激減した。これまでのように北米やヨーロッパへの遠征は物理的に難しくなり、世界との差は広がるばかりだ。負のスパイラルを今ここで断ち切っておかないと、日本からこの競技そのものが消滅してしまう恐れもある

日本、再起のビジョン「環境整備」「若手育成」

仕事を持ちつつ、日ごろからチームの土台づくりに奔走する中北監督。危機感を強めながらも、今後のビジョンも描き始めている

日本がふたたびパラリンピックという世界最高の舞台に戻ってくるには、何が必要なのか。ソチパラリンピックの視察に訪れていた日本代表の中北浩仁監督に、再起のビジョンを尋ねた。

世界のトップチームの競技力向上を認め、尊敬の意を表したうえで、中北監督はこう語る。「現状のまま強化を続け、仮に日本が次のパラリンピックに出場できたとしても、メダルは狙えない。それだけ上位国との差が開いている。視察を通してはっきりと分かったことは、選手もスタッフもホッケーを仕事として専念できる環境整備を進めることが必要だということ。4年後だけでなく、8年後、12年後を見据えて若手選手を育成する長期的なプランを構想しており、そのモデルづくりから始めている」

日本のアイススレッジホッケー界は今、大きな転換期を迎えようとしている。パラリンピック出場を逃した悔しさは、誰より選手が感じているはずだ。次に進むために数々の試練と正面から向き合い、また強い日本を取り戻してほしい。

(取材・文/荒木美晴、撮影/吉村もと)