新型コロナウイルスの世界的な感染拡大の影響を受け、3月24日、国際オリンピック委員会(IOC)が臨時理事会を開き、東京2020オリンピックの1年程度の延期を承認した。
パラリンピックは本大会終了の約2週間後に組織委員会によって実施されることが開催都市契約に明記されており、同様に延期が決まった。国際パラリンピック委員会(IPC)のパーソンズ会長は、「IOCの決定を全面的に支持する」と発表。これを受け、日本パラリンピック委員会(JPC)の鳥原光憲会長も「今回の延期の方針決定は、まさに大英断だと思う。延期は多くの困難に直面するが、みんなの協力でこれを乗り越えて完全な大会を実現すれば、より大きなレガシーの創造に繋がる。JPCとしても組織委員会等と歩調を合わせ、競技団体やアスリートと一層連携をはかり、大会の成功に向けて全力を挙げて取り組む決意である」とコメントした。
衝撃のニュースから一夜明けた25日は、パラリンピック関係者の間でも安堵と不安が交錯した。
2月末からコロナ禍の影響が出ていた。専門家によると、選手によっては障害のため呼吸の機能が低く、万が一、新型コロナウイルスに羅漢した場合は重症化しやすいとされ、海外のトップ選手や強豪チームを招き、パラリンピック本番会場で開く予定だった2月末からのボッチャと、3月中旬の車いすラグビーのジャパンパラ競技大会は中止に。同時期のブラインドサッカーワールドグランプリもパラリンピックの前哨戦と位置づけられていたが開催が見送られ、強化の機会を失った。
水泳は3月上旬の代表選考会を兼ねた記録会の予定をスライドし、5月のジャパンパラ競技大会を代表選考会とする方針に変更していたが、26日になって大会そのものの中止が発表された。また、陸上は3月下旬にランキング上位の選手が出場するワールドチャレンジがやはり中止に。車いすテニスは国際テニス連盟(ITF)が4月20日までの大会キャンセルを急きょ発表したのを受け、アメリカ遠征中だった国枝慎吾や上地結衣らは試合をせずに日本にとんぼ返りせざるを得なかった。その後、ITFは改めて6月8日以前のすべての大会の開催を延期する声明を出し、4月21日に福岡で開幕予定だったJAPAN OPENも中止に追い込まれた。
2021年への延期が発表された24日時点で、46人が国内競技団体の選考基準などをクリアしてパラリンピック代表に内定している。それが今後も維持されるのか、また新たに選考会が実施されるのか気になるところだが、日本パラ陸上競技連盟の増田明美会長は26日、昨年のロンドンマラソンとドバイ世界選手権で代表入りを決めた選手については、原則そのままJPCに推薦する方針を示した。他の競技団体においても今後協議されるだろうが、選手がそこに至るまでに積み重ねてきたもの、選考を勝ち抜いたという事実が正しく評価されることを願う。
当の選手たちは、それぞれのSNSなどを通じて、事態の収束を願いつつ、おおむね冷静に状況を見守っている様子が伺える。この夏に合わせてきたピーキング、モチベーションの問題をどう解決するか、それが容易ではないことは選手本人が一番わかっていることだ。覚悟を持って痛みと困難に立ち向かい、再び準備を進める選手たちに、心からエールを送りたい。
(文/MA SPORTS)