Writer's eye, 車いすラグビー — 2022/10/15 土曜日 at 0:48:51

【Writer's eye】世界一のチームを支える車いすラグビー日本代表メカニックは、ミスから技術を磨いた「もう絶対に選手を裏切ることはしない」

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試合が進む横でパンクの修理を行ない、次に備える川﨑さん=DGI Huset Vejle(デンマーク・ヴァイレ)

車いす同士のタックルが認められている車いすラグビー。その衝撃と、ハードなチェアワークの積み重ねによって競技用車いす=通称「ラグ車」には大きな負担がかかる。練習中でも、試合中でも、タイヤのパンクはしょっちゅう起こる。そんな時にベンチから颯爽と駆けつけ、素早くタイヤを交換するのがメカニックスタッフだ。現在、デンマーク・ヴァイレで開かれている「車いすラグビー世界選手権」に出場している日本代表には、川﨑芳英さんが帯同。試合の状況に目を光らせ、スピーディーかつ細やかな対応でチームを支えている。

パンクしたタイヤの交換など、コートの上で行なうメンテナンスの時間は1分以内とルールで決められている。その場でパンク修理をする時間はないため、メカニックは新しいタイヤに交換すると、パンクしたほうをベンチに持ち帰って点検し、修理する。激しいタックルでタイヤを守るホイールはボコボコだが、実は試合中のラグ車のハプニングは、タイヤのパンク以外はほとんどない。それは、メカニックがふだんから入念なメンテナンスを行なっているからだ。

「選手がラグ車になんとなく乗れていないときがありますが、それには何か原因があるはずなんです。なので、走行中の音を聞くとか、ちょっとしたガタツキを見逃さないように注視しています。コートが変われば、漕ぎ方や漕ぎ味が変わります。その感覚の違いを形にするために、選手と打ち合わせてミリ単位の調整をしていきます」と川﨑さん。

大前提として、ラグ車の調子が悪くてパフォーマンスを発揮できない、ということがもっともあってはならないこと。川﨑さんによれば、そういった不安材料は準備段階で完全に消しておくために、海外の試合では誰よりも早く会場に入って、コート状況と、ラグ車を置いている倉庫から会場までの動線など、すべてを確認するそうだ。「100%の準備をして送り出すのが、メカニックの仕事だと思います」と、川﨑さんは言いきる。

試合終了後、円陣に加わる川﨑さん

車いすラグビーに受けた衝撃

川﨑さんが車いすラグビーに出会ったのは、前の職場である福岡市の障がい者スポーツセンターに勤務していた2014年。もともと競技のことは知っていたが、センターを利用していた車いすラグビーのクラブチーム「Fukuoka Dandelion(福岡ダンデライオン)」の練習や大会で実際にプレーを見て、「ヤバい」と驚いた。「面白い、という意味ではなく、日常の車いすに乗っている時はぎこちない動きをしている人たちが、こんな激しいスポーツをしてまたケガをしてしまわないか、という心配の気持ちが大きかったですね」と、当時の衝撃を振り返る。

センターの職員という立場上、ひとつのクラブチームにだけ深く関わることはできない。そのため、パンク修理などできる範囲で手伝っていた川﨑さんは、そのうち勤務時間外にラグ車に乗るようになり、「自分のなかで、どんどん車いすラグビーが大きな存在になっていった」という。

そこで、川﨑さんは思いきって当時の上司に相談し、「極めるまでやりたい」と意思を伝えると、「本当に最後の最後までやるんだったら、職員としてやってもいいぞ」と認めてくれた。その上司とは、障がい者スポーツの指導員の資格を持ち、陸上で数々の国際大会のコーチや監督として帯同してきた小手川郁人さんだ。

その小手川さんから言われた『極めるというなら、覚悟を決めろ』という言葉を今も大切にしている川﨑さん。福岡ダンデライオンのメカニックとして活動しながら、「パラリンピックで金メダルを獲るチームをサポートする」という初心を形にするため、川﨑さんは一歩を踏み出した。

忘れられないミス

川﨑さんの師匠は、長年にわたり日本代表のメカニックを務める三山彗さん。三山さんが仕事で福岡に来るたびに、ラグ車の調整方法や問題解決のヒントを教えてもらった。その三山さんから「ジャパンチームを手伝う気持ちはありますか?」と声がかかったのが、2016年のリオパラリンピック後のことだ。「あります」と即答した川﨑さんは、翌17年の1月に初めて代表合宿に自費で参加し、3月には海外遠征に帯同。そして4月に正式にJAPANのユニフォームを手にしたのだった。

とはいえ当初は、川﨑さんは日本代表のスタッフとしては新人。技術も、選手の信頼度も、「三山さんとは雲泥の差」だった。ラグ車のミリ単位の調整を行なうには、メカニックと選手の間に信頼関係の構築が必須だ。川﨑さんはとにかく選手の要求に耳を傾け、そのとおりに仕上げることに集中。海外での大会では選手と同じ部屋に寝泊まりし、同じ釜の飯を食い、少しずつ距離を縮めていった。

川﨑さんには、忘れられない出来事があるという。代表に関わってすぐの5月、アメリカで開催された大会にメカニックとしてひとりで帯同したときに、あるハプニングが起こった。「得点の要となる池(透暢)選手のラグ車が3回立て続けにパンクしたんです。3本目がパンクした時、1本目のタイヤをまだ修理できていませんでした。それによって、池選手が30秒から1分くらい試合に出られない時間帯ができてしまった。僕のミスです。これはもう、一生僕のなかで引っかかって取れない責任だと思っています」

それからというもの、自分を戒め、ひたすら技術と正確性、スピードを磨いた川﨑さん。「もう絶対に、選手を裏切ることはしない。それだけは自信があります」と言いきり、前を向く。

選手とともに世界選手権を戦う

昨年の東京パラリンピックは、直前までチームをサポートした。本番は三山さんが帯同し、川﨑さんは会場に近いホテルに2週間泊まり込んで日本代表を見守った。東京パラリンピック後は、初の海外遠征となる今年6月のカナダカップ、7月のローポインターズ大会(アメリカ)、そして今回の世界選手権は川﨑さんがひとりで担当している。短いスパンで3大会連続の重責を担うことになるが、川﨑さんは「100%準備をすることに変わりはない」と冷静だ。

今大会の試合は、2つのコートを使って行なわれている。日本代表は11日の2試合は第1コート、12日の2試合は第2コートでプレーしたが、それぞれに設置されている競技用スポーツコートの材質が異なるため、ラグ車の沈み具合も違ってくるのだそうだ。そのあたりは「想定済み」で、川﨑さんは選手から希望を聞いて、ラグ車のキャスターを調整して送り出している。

チームは13日、強豪オーストラリアを下し、全勝で予選リーグを通過した。上位チームの実力が拮抗する今大会は、準々決勝以降は一層ハイレベルな戦いが続くことが予想される。そのなかで日本代表が見据えるのは、大会連覇だ。その快挙達成の瞬間を見届けるべく、川﨑さんはいつもどおり、粛々と、そして全力でサポートを続けていく。

※この記事は、集英社『Web Sportiva』からの転載です

(取材・文・撮影/荒木美晴)