24日に開幕する東京2020パラリンピックには、オリンピック同様に多くのボランティアが参加し、選手や関係者を支える。大阪出身の会社員・青木栄広(よしひろ)さんも、そのひとりだ。人気競技のひとつ、パラパワーリフティングの会場でアスリートサービスチームの一員としてボランティア活動に従事する予定だという。
NTT西日本に勤める青木さん。NTTグループが社内で東京大会のボランティア募集をしていることを知って応募したところ、パラリンピックでの採用に至った。オリエンテーションや研修がスタートしたが、コロナ禍で大会開催は1年延期に。時を同じくして自身も転勤で京都府内に単身赴任することが決まり、「本当にやれるのかどうか悩んだ」時期もあったが、会社や家族の理解もあり、「一生に一度のことだから」と参加の意思を貫いた。
青木さんは、初めからオリンピックではなくパラリンピックでの活動を希望していたという。その動機を聞くと、「パラスポーツ、そしてパラリンピックの選手を応援したいから」ときっぱりと答えが返ってきた。
幼少期よりアイスホッケーに親しみ、現在も現役として活躍する青木さんは、実はパラスポーツと縁が深い。関西で開かれたパラアイスホッケーの体験会や日本代表合宿のサポートをしたことがきっかけで、2007年にパラアイスホッケー日本代表のアシスタントコーチに就任。有給休暇を使いながら、深夜に自宅を出発して日本代表の強化合宿拠点である長野県まで何度も足を運び、指導のあとは選手たちと同じ釜の飯を食って過ごした。チームは2010年のバンクーバーパラリンピックで優勝候補のカナダを破って、嬉し涙の銀メダルを獲得。その後もソチパラリンピック出場を懸けた2013年の世界最終予選までアシスタントコーチを務め上げた。
「アイスホッケーを愛する者にとって、カナダで世界一を決める舞台に立つということはこれ以上にない経験です。それも30代の年齢で。それを含め、パラアイスホッケーとの出会いが、人生の転機になった。自分の人生を豊かにしてくれたんですよ」と青木さんはほほ笑む。
パラアイスホッケーは、下肢に障がいがある選手がスレッジというそりに乗ってプレーするアイスホッケーだ。「日本代表も事故や病気で足を失った選手が多いのですが、目をキラキラさせてひとつのことを追求する姿に、ずっと刺激を受けていました。変な言い方かもしれませんが、もし自分が事故で障がいを負っても、こんなにイキイキと生きている人たちがいるんだから大丈夫だと思いました。自分の障がいに対する価値観が180度変わったんです。代表コーチをするにあたり、たしかに自分の時間もお金も使いましたが、それよりはるかに、彼らから“もらったもの”のほうが多いんです。だから、ずっとそれをアイスホッケー界や社会に還元したいと思っていました。今回のボランティアは、私にとっては恩返しのひとつなんです」
現在は日本代表スタッフからは退いているが、競技普及のための体験会やイベントにはできる限り顔を出して参加者をサポートする。また、18年に西日本初のパラアイスホッケークラブチーム「ロスパーダ関西」を結成した際は、自らのホッケーの人脈を活かしてメンバーやスタッフ集めなどに尽力。そしてアシスタントコーチとして氷に乗り、選手の指導にあたるなど、継続してパラスポーツに関わっている。ちなみに、ロスパーダ関西所属で、北京パラリンピック出場を目指す日本代表候補の伊藤樹選手が、小学3年の時に交通事故に遭ったあとにアイスホッケーから転向する際にサポートし、いちから手ほどきをしたのが青木さんである。
パラスポーツに関わる青木さんの存在は、会社の仲間たちにも徐々に変化をもたらしているという。代表コーチ時代は合宿や海外遠征で仕事を休むことが多く、会社に迷惑もかけたが、青木さんの活動を知って多くの同僚がパラスポーツに興味を持ち始め、「応援してるよ」と言って快く送り出してくれた。青木さんにとって、“もらったもの”の会社への還元は、自分にしかできない形で貢献することだ。
「まずは、私が継続してパラスポーツに携わることで、周囲の人たちの障がい者理解のきっかけになると思っています。また、私が代表で選手を教えていた時は、スタッフにアメリカ人コーチがいたこともありましたし、イクイップメント(用具担当者)やトレーナーとも一緒に活動しました。そんな多様性のあるメンバーとともに世界一を目指し、ひとつにまとめていくチームビルディングの経験は、社業にも活かせると思っています」
東京パラリンピックのパラパワーリフティング競技は、8月26日から30日まで5日間にわたって東京国際フォーラムで実施される。今回のボランティア経験もきっとまた青木さんの人生に新たな彩りを与え、形を変えて次の「恩返し」につながっていくことだろう。
※この記事は集英社『パラスポ+!』からの転載です
(取材・文・撮影/荒木美晴)