Writer's eye, 車いすラグビー — 2023/2/10 金曜日 at 14:23:25

【Writer’s eye】車いすラグビー界のレジェンド島川慎一。48歳でも「今がベスト」とコーチも絶賛、チームメイトは「この人が味方でよかった」

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日本の車いすラグビーが強くなってきた過程を見てきたチーム最年長の島川慎一

「2023ジャパンパラ車いすラグビー競技大会」が2月2日から4日間にわたって、千葉ポートアリーナで開催された。東京パラリンピックと昨年の世界選手権で銅メダルを獲得し、世界ランキング4位(2月8日現在、以下同)につける日本代表が、同1位のアメリカ、同2位のオーストラリア、同5位のフランスと対戦。強豪を相手に日本は1次リーグを6戦全勝で勝ち上がり、決勝でもフランスを57―54で破り、完全優勝を果たした。

来年のパリパラリンピックの開催国であるフランスは着実に進化を遂げており、ライバル国がもっとも警戒するチームのひとつだ。今大会も東京パラリンピックと世界選手権に出場したメンバーでチームを編成しており、実戦経験の上積みを意識していることがわかる。

一方のアメリカとオーストラリアは、若手選手や国際試合の経験が少ない選手も招集。日本にとっては初めて対戦する選手がいるため、やりにくさがあったと思われるが、いずれの強敵に対しても相手に当たり負けしないフィジカル、複数のラインナップを使い分ける戦術、展開を先読みして相手の攻撃の芽を摘むディフェンス力を武器に対峙し、見事に勝ちきった。

日本もまた、パリ大会での金メダル獲得は悲願である。この揺るがない目標の達成が、選手とスタッフの最たるモチベーションであり、チーム力底上げの原動力となっている。

そんな日本代表のなかで今大会、存在感を示したのが、島川慎一(3.0/バークレイズ証券)だ。競技キャリアは24年、パラリンピックに5度出場しているベテランで、チーム最年長の48歳。気の抜けない試合が続くなかで、チームの精神的支柱となったのはもちろん、ハイポインターとして最前線で奔走し、随所で好パフォーマンスを発揮した。

ゲームの流れを変えたい場面で投入されることが多く、今大会も主にセカンドライン(ライン=選手の組み合わせ)で起用された。1次リーグ初戦でフランスを相手にプレータイムを伸ばした島川は、翌日の再戦で、第2ピリオドは交代せずに出場し続け、序盤のリードをさらに広げるなどして勝利に貢献。さらに決勝では、フランスの攻守の要であるセバスチャン・ベルダン(3.0)に強烈なタックルを浴びせ、ターンオーバーに成功。互いに1点を争う緊迫した展開から一気に日本に流れを引き寄せた。

代表合宿に加えて、個人トレーニングの量も質も上がっているといい、島川のトップスピードで走りながら一試合を戦いきるフィジカル、経験に裏打ちされた勝負どころを見逃さない判断力は、チームの屋台骨だ。同じラインになることが多い橋本勝也(3.5/日興アセットマネジメント)は、個人練習で一緒に励む仲。チーム最年少の20歳の橋本について、島川は「同じ目標に向かってしのぎを削るよいライバル」だと言い、キャリアや年齢に関係なく切磋琢磨できる環境がさらなる成長につながっている。

島川のことを昔から知るフランス代表のコーチは「彼は若い時よりいいプレーをしている」と舌を巻き、日本代表のケビン・オアーヘッドコーチも「彼のキャリアのなかでも、今がベストの状況」と評価する。

決勝後に島川とともに取材に応じた池崎大輔(3.0/三菱商事)は、「僕は島川選手の背中を見てここまできている。最年長で誰よりもハードワークができる、偉大な先輩。(決勝のタックルで)相手がふっとんで盛り上がったし、一気に雰囲気を変えたのはさすが」と振り返る。そして、「......この人が味方でよかった」と語り、隣の島川を笑わせた。

強くなるために、道を切り拓いてきた

日本の車いすラグビーの歴史とともに歩んできた。

1975年1月生まれ。21歳のときに交通事故で頚髄を損傷し、車いす生活に。右手の麻痺は比較的軽いが、左手は握力がなく、体幹機能にも障害が残った。車いすラグビーに出会ったのは、99年の24歳の時。それまではパラ陸上に取り組んでおり、チームスポーツには興味がなかったが、友人に誘われて参加したクラブチームの体験会でラグ車(競技用車いす)に乗ってみたところ、ぶつかり合いの激しさに惹かれ、競技を始めた。

車いすラグビーは2000年のシドニーパラリンピックから正式競技に採用され、日本は04年のアテネ大会に初出場。島川も日本代表に選ばれた。しかし、現地のクラス分け再審査の結果、ほかの選手の持ち点が変更になる前代未聞のハプニングに直面。急造ラインで戦わなければならない状況となり、島川は最多得点を挙げる活躍を見せたものの、結果は最下位の8位に終わった。

「不完全燃焼だった」

悔しさに突き上げられ、島川は強くなるための挑戦を始めた。05年、島川は新たにクラブチーム「BLITZ」を設立。"電撃""稲妻"を意味するチーム名のとおり、激しいプレーで競技の魅力を伝えることを目指した。

時を同じくして、海外でのプレーを決意。立ち上げたばかりのBLITZの仲間にも背中を押され、アテネ大会で銅メダルを獲得したアメリカのクラブチームからの誘いを受け、単身渡米。"フェニックス・ヒート"では、選手の勝ちに対する貪欲さと、車いすラグビーに誇りを持って取り組む意識の高さに刺激を受けたという島川。1年目にしてチームの主軸として活躍し、全米選手権優勝に導いただけでなく、外国人プレーヤーとして初の最優秀選手に選出された。07-08年シーズンには名門"テキサス・スタンピード"に移籍し、ここでもチームの優勝に貢献した。その活躍が後輩たちへの道標となり、のちに池崎や池透暢(日興アセットマネジメント)らもアメリカ修行を経験している。

北京パラリンピックは7位、ロンドンパラリンピックは4位と大会ごとに順位を上げ、そしてリオパラリンピックで初めてメダルを獲得。満を持して臨んだ東京パラリンピックも3位だった。競技レベルが向上するなかで表彰台を守ったことは誇りだったが、金メダルを逃した悔しさが、再びベテランのやる気に火をつけた。

「このままでは辞められない」

銅メダルを手に語った覚悟と、鋭い視線を前に向けた姿が印象に残る。また、BLITZも日本選手権を8度制する屈指の強豪チームに成長。今年1月の日本選手権でも強さを維持し、チーム登録者が6人と最小人数ながら3位に入っている。島川はチームで唯一のハイポインターとしてフル出場。肉体的にも精神的にも、誰よりもタフであることを証明した。

6月29日に「2023 ワールド車いすラグビー アジア・オセアニア チャンピオンシップ」(東京体育館)が開幕する。来年のパリ・パラリンピックのアジア・オセアニア地区から出場権「1枠」を決定する重要な大会だ。世界王者のオーストラリアやニュージーランドが参戦し、混戦が予想されるが、島川の座右の銘「ネバーギブアップ」のとおり、全力で戦い、あきらめない姿勢をまた見せてくれることだろう。世界に誇る現役レジェンドの活躍に、ぜひ注目してほしい。

※この記事は、集英社『Web Sportiva』からの転載です

(取材・文・撮影/荒木美晴)