降りしきる雨の中、横浜市・山下公園周辺の特設会場で行われたITU世界トライアスロンシリーズ横浜大会。16日に行われたパラトライアスロンの部で右大腿切断のトライアスリート秦由加子(マーズフラッグ・稲毛インター)が躍動した。
「すごいんですよ、応援が。前からも後ろからも声援に包まれて。私は幸せものですね。いや〜、楽しかった」
両手を大きく広げて優勝のゴールテープを切ると、沿道に向かって何度も頭を下げた。
トライアスロンと同様にスイム(水泳)、バイク(自転車)、ランニングを連続して行うパラトライアスロン。2016年リオパラリンピックから新たな正式競技として加わることが決定し、にわかに注目度が高まっている。五輪で実施されているスタンダード・ディスタンスの半分となるスプリント・ディスタンス(スイム0.75キロ/バイク20キロ/ラン5キロ)を、障がいの種類やレベルによって5つのカテゴリーに分かれて行う競技である(リオの実施カテゴリーは男女各3クラス)。横浜大会はトライアスロンの世界トライアスロンイベントのひとつで、来年に迫るリオパラリンピックにつながるポイント獲得のための重要な大会だった。
日本でパラトライアスロンのレースに出場している選手は現在、20人ほどいるという。もともと障害のある選手は健常者に混ざって競技を行っていたこともあり、潜在的には60人ほどとされる。陸上、水泳などのパラリンピアンが挑戦していることも特徴的だ。
膝上切断などのPT2クラス(女子)を制した秦は、2010年に中国・広州で行われたアジアパラ競技大会の水泳・400メートル自由形の銀メダリスト。スイムが持ち味のトライアスリートだ。
横浜大会でも得意のスイムで堂々のトップに位置し、2種目のバイクも前回大会のタイム(44分27秒)を大きく縮める40分32秒で通過。課題だったランでも「ペースを考えず、初めから全力でいく」作戦通りの展開でライバルたちを振り切った。
「3月にサンシャインコーストで負けた悔しさがすごく強かったので……。ゴールの瞬間は本当にうれしかったですね」
そのオーストラリア・サンシャインコースト大会では、スイムでつけた2分のリードを守れず、(3種目目の)ランで追い抜かれて4位に終わった。「体力とかではなくスピードについていけなかったんです。初めて感じた海外との差。この差を埋めるべく3カ月間、トレーニングを積んできました」と、大会前に語っていただけに、この優勝は大きな自信となったに違いない。
「強化してきたバイクで差をつけられたことと、バイクの疲労がそこまで出なかったことが収穫。どんな天気でも怖くない状態だったので、雨のレースもうれしいと思えた。義足が滑らないように注意して走るくらいで、楽しんでレースできました」
ウエットスーツや義足の着脱を行うトランジションも、レースを左右するポイントだった。パラトライアスロンの場合、選手に与えられるトランジションスペースは、一般の2倍の広さがある。秦のバイク用義足はトランジションエリアでもスムーズに動けるよう(関節になる部分が)工夫されているという。椅子に座って汗を拭き義足を装着するなど流れを繰り返し練習したという彼女は、そのロスタイムの短縮にも成功した。
さらにトライアスロンならではの経験も積んだ。スイムでは初めてのバトル(水中でのボディコンタクト)を経験。男子選手にはじき飛ばされながらも、その状況を楽しんだというから、ハートも強い。
そんな彼女、実は、水泳で12年ロンドンパラリンピックを目指していた。かねてから興味のあったパラトライアスロンの門戸をたたいたのは、水泳の日本代表の選考に漏れたことがきっかけだった。
「ロンドンの年は今後について考えながら、オープンウォーターの大会に出場するなど今後を模索していました。その年の12月、トライアスロンに挑戦するために初めて陸上用の板バネの義足を履いたんです。走るのは苦手だったはずなのに、なんだか夢のような気分になりました」
秦は13歳で骨肉腫のため右ひざ上を切断。社会人になって、3歳から小3まで取り組んでいた水泳を再開し、障がい者水泳チーム「千葉ミラクルズSC」に入会。そこで競技の楽しさに目覚めてパラリンピックを目指すようになった。ロンドンパラリンピック出場はかなわなかったが、アスリートとしての本能が消えなかったのだろう。昨年の横浜大会でパラトライアスロンの国際大会に初出場。ホームの歓声の中で完走すると、新たな気持ちが湧いてきた。
「パラトライアスロンでリオを目指そう」
そう心に決めたのである。
横浜大会の優勝でリオへの期待も高まる。だが、秦は「パラリンピックはまだまだ手の届かない場所にある。もっとレベルアップしなければつかめない」と言い、まずは9月の世界選手権(米国・シカゴ)に向けて、バイクとランのさらなる強化を図るつもりだ。
秦の世界ランキングは9位。リオには全カテゴリーで60人が出場できるとされ、2015年7月1日から2016年6月30日までに実施されるポイント対象大会の結果が出場権獲得に直結する。
ゴール直後のインタビューで、言葉に力を込めた秦。パラリンピックへの2度目の挑戦がいよいよ始まった。
(取材・文/瀬長あすか)
※この記事は、『Sportsnavi』からの転載です。