エアライフルを始めてわずか3年でアテネパラリンピック日本代表になってから8年。アテネ、北京と入賞はするも、メダルを逃してきた射撃の田口亜希(郵船クルーズ)が、「今度こそ」の思いを胸に、ロンドンに挑む。
出場種目はエアライフル伏射(10メートル男女混合・SH1)と、ライフル伏射(50メートル男女混合・SH1)の2種目。メダル獲得が期待されるエアライフルは、10メートル先の電子標的の直径わずか0.5ミリの中心を狙う。
4年前の北京パラリンピックでは、このエアライフル本戦で60発を撃つうち、8発目で9点を出すミスをした。残りは52発もある。その時に、彼女を支えたのが「あれだけ練習したんだから大丈夫」という自信だった。大会前、集中して射撃の練習を行うために、夫の赴任先であるロサンゼルスから単身帰国し、射場が休みの日以外は毎日片道75キロをかけて練習に通っていた。目を閉じて胸に手を当て、試練を思い出し、前を向いた。そして、彼女は残り52発すべてで10点を出し、全体の5位にあたる599点をマーク。日本人で唯一、上位8人によるファイナル進出を決めた。
ファイナルでは8人が横一列に並び、号令に合わせて1発ずつ計10発を撃つ。本戦とファイナルのスコアの合計で競うため、最後まで1発ごとに順位がめまぐるしく入れ替わる。
「自分の呼吸や脈の音さえ、邪魔になる」
ファイナル独特の雰囲気を、田口はそう表現する。その極限の緊張が、少しずつ手元を狂わせた。「銃が止まらなかったです、一発も」。その結果、8位。アテネからひとつ順位を下げた。
頂点に立てるのは、ライバルたちとの心理戦というよりは、心を静め、“自分との戦い”を制した者だけだという。過去2大会、彼女はこの難攻不落の「自分」という高い山に阻まれ続けた。
恐怖の先にある達成感
田口が「ライバルであり、憧れの選手です」と話すのは、ヨナス・ヤコブソン(スウェーデン)。1980年アーヘンパラリンピックから8大会連続でパラリンピックに出場し、アテネ4冠、北京3冠を含む合計16個もの金メダルを獲得している偉大なる王者だ。彼の強みは、五輪も狙える技術の高さはもちろんのこと、周りが「彼はアイスマンだ」と口をそろえるほどの冷静沈着さだという。緊張が、引き金にかかる指に伝わる射撃においては、この強心臓が重要とされる。
一方で田口は、自身を「本当に緊張しやすい性格」だと分析する。たしかに、アテネを目指していた当時、パラリンピック出場権を懸けた世界選手権で極度の緊張から貧血と過呼吸を起こし、大会を棄権した苦い思い出もあるほどだ。
「私もヤコブソンのようになりたいと、ずっと思っています。でも、何年たっても試合が怖い。普段の練習でも、“よし、今日は点を取る練習をしよう”と考えるだけでも、勝手にドキドキしちゃうほど。大会では弾を持つ手が震えるし、毎回“もうこれで辞めよう”と思うところまで追い込まれるんです」と苦笑いする。
でも――、と彼女は続ける。
「緊張はするけど、1発も後悔するような撃ち方はしない、妥協は絶対にしないって自分の中で決めているんです。そうしたら、すべてを撃ち終わった後の達成感がすごい。それに、私はたとえば仕事で人に褒められても“ほんまかな”って、つい思ってしまうんですけど、射撃の点数は自分が引き金を引いた結果だからごまかせないし、過大評価しない。だから、11年も続けているのかもしれませんね」
突然の車いす生活から射撃の世界へ
大阪府堺市生まれ。大学卒業後は得意の英語を生かして、日本最大級の豪華客船「飛鳥」の客室乗務員になった。世界中を飛び回っていた。だが、25歳の時、自宅で突然、下半身が動かなくなった。後の検査で、脊髄の血管の病気を発症したことが分かった。当初は現実を受け入れられず、絶望の淵をさまよった。
家族や友人たちの励ましでようやくリハビリに打ち込むようになったある時、病室で同室の患者と自分たちでもできるスポーツの話になった。水泳、陸上、車椅子バスケットボール……。その中に、射撃があった。「あ、車いすでも射撃ができるんや、と思いました。実は、飛鳥に乗る前の新人研修でホテルのベルガールをしていたとき、お客様とクレー射撃の話をしたことがあったんです。その時のことを思い出して、関心を持ちました」
退院して仕事に復帰した頃、当時の病室の仲間に誘われて、神戸でビームライフルをスタートした。めきめきと上達し、競技性の高いライフルに持ち替えた。周囲から声をかけられるまま遠征や国際大会に出るようになると、視力の良さもあって1年目にしてすぐにトップレベルの得点をたたき出すまでに成長。日本選手権では当時の新記録だった600点の満射を出し、「何も分からないまま」アテネ大会の代表に選ばれた。
とはいえ、アテネも北京も、連盟から日本代表選手として推薦されたのはいずれも「一番最後だった」。だが、今回のロンドンは違う。昨年11月のワールドカップで好成績を収めて、パラリンピック出場資格が国に与えられる“直接枠”を獲得。早々に日本代表に内定した。3回目となる大舞台は、誰もが納得する経験豊富な“エース”として、日本を引っ張っていく立場になった。自身もそれを自覚している。そこに、4年間の成長がある。
「日本の射撃界としても、メダルを取りたい、じゃもうあかん。メダルを絶対に取る、という気持ちで臨まないと箸にも棒にもかからないでしょうね。世界のレベルが上がっているからこそ、メダルを取る価値があると思いますし」と話し、表情を引き締める。
最大の武器は8年間の経験の積み重ね
今回のロンドンに向けた練習量は、明らかに4年前の半分以下である。当時は働いていなかったが、現在は「飛鳥」を運営する日本郵船のグループ会社に勤務しており、射場へ行くのは主に週末の個人練習と合宿のみ。不安がない、といえばうそになる。だが彼女は、こう言い切る。
「私は今、仕事と両立しているから心のバランスが取れているし、射撃が楽しいと思える。練習量が少ないのは事実。でも、それを自分のなかでどう消化するかが大事だと思っています」
“質の高い練習”に取り組む上で強みとなっているのが、パラリンピックを含む数々の国際大会の経験だ。本番では、何が起こるか分からない。会場によって光や風の入り方が異なるし、本戦後にランダムに行われる銃の検査に自分が当たってしまうといや応なしに拘束時間が増える。他の日本人選手と試合時間が重なっていたら、コーチのアドバイスは聞けないかもしれない。そうしたあらゆる「起こりうる状況」を経験から予測し、対策を練ったうえで、本番を想定した練習に取り組んでいるのだ。
また、障害により腹筋がきかない田口の場合、撃っている間に体が少しずつ車いすに沈んでいくのだという。ただ、感覚がないために、それに気づくことが難しい。「そういうときは、弾着を見たら分かるんです。あぁ、少し上にずれているから、自分が沈んでいるんだな、と。視力が良いだけではカバーできないことを、経験でフォローしていく。本番で緊張する中でも、自分でいかにそれに気づくかがポイントになりますね」
銃やコート(上半身に着用し、身体を固定する役割がある服)の開発技術が進み、世界のレベルは確実に上がっている。以前にも増して満点を出す選手が増えている中で、彼女が目指すのが「同じ満点の600点でも、完璧な600点」だ。
「本戦は10点が満点ですが、ファイナルは小数点1桁まで計算されます。つまり、10.9点が最高。わずか0.1ミリの差で勝敗が決まるのでもちろんプレッシャーはかかりますが、誰が見ても完璧な満点を出したいです。そうすれば結果はついてくる」
経験を自信にかえて臨む3度目の大舞台。弾丸に心を込め、金色に輝くメダルを撃ち抜く。
※この記事は、8月22日〜9月19日の期間中、「YAHOO! JAPAN ロンドンオリンピック・パラリンピック日本代表応援キャンペーン」特設サイトで掲載されたものです。
(取材・文/荒木美晴、撮影/吉村もと)