初戦から決勝まで、相手に1セットも与えない圧倒的な強さで頂点を極めた2008年の北京パラリンピック。その後、さらなる高みを求めて、国枝慎吾(ユニクロ)は日本人初のプロの車いすテニスプレーヤーになった。昨年9月の全米オープンで優勝し、いよいよロンドンへの期待が高まった。だがその後、彼は表舞台から姿を消した。痛めていた右肘の手術に踏み切ったのだ。「すべてはロンドンのため」と言い切る、王者の決意とは。
ロンドンに向けて手術を決断
――全米オープン後は休養を取り、今年2月に古傷の右肘の手術に踏み切られました。このタイミングで手術を選択した理由は何だったのでしょう?
右肘はずっと痛めていて、2年間痛いながらもプレーしてきました。同時に治療も行っていたのですが、なかなか良くならなくて、保存療法に関しては手が尽きたという状況でした。あと数カ月待てば良くなったのかもしれませんが、いつまで続くのかという不安もありました。ロンドンパラリンピックのことを考えて、最善の選択をしたということです。
――どのような手術だったのですか? また、術後の経過は順調でしたか?
「難治性テニス肘」という診断で、長年の肘の酷使により滑膜(かつまく)ヒダが損傷して関節が痛くなるというもので、手術は2時間半くらいでした。麻酔から覚めると、あまりにも肘が痛くて、「二度と手術なんてしない」って思いましたが、経過は極めて順調で、予定より一日早く退院しました。日常の車いすが違和感なくこげるようになるまでは、3週間弱かかりました。
――リハビリ中は相当ハードなトレーニングをしていたそうですね。
JISS(国立スポーツ科学センター)で、トータル1カ月の泊まり込み合宿を行いました。トレーナーと二人三脚で肘の可動域を広げるトレーニングや、体幹を鍛えるトレーニング。それに、1日4~5時間はマットの上で腹筋と背筋をしていました。これがもう、逃げ出したくなるくらい厳しくて。でも、「タダでは帰らないぞ!」という気持ちで頑張りました。やり遂げた後は、筋力と瞬発力が大幅にアップして、チェアワークのスピードタイムを測ってみると以前よりいいくらい。相当パワーがみなぎっていて、自分でも“これは楽しみだな”と思いましたね。
――テニスがしたくてウズウズしていたんじゃないですか?
もう本当に(笑)。「早くボールが打ちたい!」という葛藤と戦っていました。3月下旬に競技用の車いすに乗り始めて、4月初めにスポンジボールを使ったトレーニングを再開しました。その後は1週間ごとにボールの質を上げていって、復帰戦となった5月のジャパン・オープンの3週間前に、実践のボールで練習できるまでになりました。休養している間は試合に出ていないので、スポンサードしてくれている企業には申し訳なかったのですが、どこも「パラリンピックが最終目標だろうし、問題ない」といって背中を押してくれたのが本当にありがたかったです。
欧州遠征で「結果を出して自信を持つことができた」
その復帰戦となったジャパン・オープンでは、世界ランキングトップ10が勢ぞろいするなか、ベスト4まで進出した。6月からは、実践感覚を取り戻すために約1カ月間にわたるヨーロッパ遠征を敢行。試合勘を磨いた。焦らず、一歩ずつ前に。その結果、全仏オープンではシングルスで準優勝、ダブルスで優勝するまでに回復。その後のフランス、スイス、英国の大会では、パラリンピックでも対戦するであろうライバルたちを退け、シングルスで連続優勝を果たした。
――パラリンピック前の前哨戦となる大会での優勝おめでとうございます。肘の調子は良さそうですね。
実は手術した後、肘の曲げ伸ばしに違和感があるというか、手術した場所に触っていても分かるような「しこり」のようなものがあったんです。でも、6月の全仏オープンあたりから、すごく激しく打っていたせいか、決勝戦を戦っているうちにそれが消えたんですよね(笑)。丸山(弘道)コーチにも、「コーチ、やばい。すごく肘が動くんだけど」みたいな感じで報告したくらい(笑)。
――プレー面でも復活の手ごたえのようなものはあったんですか?
そうですね。バックハンドの精度と威力が上がってきていたので、「これは時間の問題かな」という思いが自分の中にはありました。全仏では残念ながら負けてしまいましたけど、その後出場した3大会ではいずれも優勝できました。結果を出して自信を持つことができたという意味では、意味のある遠征だったと思いますね。
――ただ、全仏オープンの決勝の相手は現世界ランキング1位のステファン・ウデ選手(フランス)で、3セット目のタイブレークを5-1とリードしながらも負けた。手術の前にはあまり見なかった、詰めの甘さがスコアに出たかなと思うのですが、どう分析されていますか?
おっしゃる通りだと思います。最後はダブルフォールトでゲームセットになってしまい、そういうところは休養する前まではあまりなかった。やっぱり精神的に落ち着かなかったり、リードを生かして最後まで突き抜ける強さがないな、というのはその時強く思いました。ただ、ウデと対戦するのが復帰してからこの全仏で3大会目。その直前の2試合は2セットで終わって負けていたので、1セットを奪ってタイブレークまで回って、マッチポイントを取るというレベルにまでは上がってきたという手ごたえはありましたので、ポジティブに捉えていましたね。
若手の成長株にも快勝
――英国の大会では、成長株の18歳のガスタボ・フェルナンデス選手(アルゼンチン)とも対戦しました。
フェルナンデスとは必ず一度はやっておきたかった。彼はジャパン・オープン決勝で、ウデを破って優勝していますし、その後のアジアツアーでも勝ちまくっていましたから。僕の中の不安要素をつぶしておきたかったので、このタイミングで対戦できて良かったです。
――そのフェルナンデス選手には、1セットも与えず勝利しました。彼と初めて対戦した印象は?
プレースタイル的にはだいぶ似ているな、と(笑)。本人も「シンゴをコピーしている」と言っているそうで、光栄ですよね。実際に対戦してみて、試合前のウォーミングアップで打ちあった瞬間に、「あ、これは負けないな」と思いました。もちろん、その日の互いの調子もあるので今回だけのことでは言えませんが、弾道やボールの回転、タイミングが思っていたものとちょっと違うなという印象で、僕にとってはやりやすかったですね。
――復帰後に「ベストの状態に戻るまで3カ月」と話されていた通り、見事に復帰されました。今回ライバルたちにも、国枝選手の復活を印象づけられたのではないでしょうか。
そうですね、そういう印象を与えるということも遠征の目的のひとつでした。ここでプレッシャーをかけておくことが大事だと思っていましたから。大会をこなすにつれ、チェアワークも相当良くなって、相手にとってはかなりコートが狭く感じたんじゃないかなと思いますね。
――遠征を終えて、本番まで残りわずかな時間でこういうところを調整しておきたいと感じたポイントはありますか?
一番はサービスのレシーブ。リターンのコントロール精度がまだ良くなかったので、そこを直せば試合的には相当楽になるかなと感じました。ストロークに関しては、だいぶ良くなってきました。あとは細かいところで、リターンに入る時の車いすの角度を少し変えてみると結構いいな、といった新しいチェックポイントがあったので、それをこれから見極めたいなと思っています。
「ロンドン、すごく楽しみです」
パラリンピックは、グランドスラムの比較にならないほど「特別なもの」と位置づける国枝。一度、表舞台から姿を消したとはいえ、「北京で最後まで戦い抜き、金メダルを獲得したという実績は、自分にとってプラスになる」と自信は揺るがない。
――手術後は世界ランキングが1位から5位に転落し、現在は2位。追う立場になって、気持ちに違いはありますか?
もともとランキングは気にしていません。この1カ月間の遠征も、ランキングより試合で相手をどう破るかに焦点を当てていたので、追う立場というのも実感してないですね。試合に入るプレッシャーというのも、1位のときと今とそんなに変わらないです。チャレンジャーというところでは、今までも自分自身にチャレンジしていましたし、あまり変わらないかなと。
――アテネ、北京に続く3大会目の出場です。その経験も大きいですね。
アテネの時は緊張で体調を崩すほどでした。それでもダブルスで優勝できて、北京では「今回は楽しめるかな」と思ったんですけど、やっぱりプレッシャーが相当あって楽しめませんでした。それらを体験して、今回はプレッシャーがかかるもんだと思って覚悟していますし、その中でしっかりと結果を残すだけだと思っています。
――北京では、齋田悟司選手(ロキテクノ)と組んだダブルスで銅メダルでした。今回、勝つために何が必要でしょう?
普段、僕ら日本人選手はダブルスの練習をしていないんですが、正直なところ、ある程度までは勝てると思います。ただ、前回王者のウデ、ミカエル・ジェレミアス組(フランス)が強いですね。本当にタフです。今回の遠征中、英国の大会で三木(拓也)選手と組んでファーストセットをタイブレークまで追い込んだんですが、1セットは取れても2セットを取るのは難しいと感じました。ミスが少なくて、高いクオリティーをずっと続けてくる。彼らに弱点はないですね。ただ、逆に僕らは誰と組んでもこれから伸びる可能性がありますから、そこが勝負かなと思います。
――最後に、ロンドンではどんなプレーがしたいですか?
アグレッシブにプレーしたいなと思います。自分自身のプレーをしていけば、今回は結果が出ることは分かっていますので。そこは変えずに、“国枝らしさ”でやりたいなと思います。見ていてください、走り回りますよ(笑)。ロンドン、すごく楽しみです。
※この記事は、8月22日〜9月19日の期間中、「YAHOO! JAPAN ロンドンオリンピック・パラリンピック日本代表応援キャンペーン」特設サイトで掲載されたものです。
(取材・文/荒木美晴、撮影/吉村もと)