鈴木孝幸(ゴールドウイン)は、生まれつき右腕が肘までしかなく、両脚は一部しかない。6歳で水泳を始めた当初は、手の短いほうに進路が曲がってしまうなど、まっすぐに泳ぐことも容易ではなかったという。それでも、元々の運動神経の良さと負けず嫌いの性格もあって、泳ぎに工夫を重ね、4泳法をマスターした。17歳でアテネパラリンピックに出場し、4×50メートルメドレーリレーで2位。4年後の北京パラリンピックでは、50メートル平泳ぎ予選で48秒49の世界新記録を樹立。決勝でも49秒06の好タイムでライバルたちを蹴散らし、見事に金メダルを獲得した。北京では競泳日本チームの主将を務め、今回のロンドン大会でもキャプテンとしてチームを引っ張る。
――幼い頃から、明るい性格で、やんちゃで負けず嫌いだったそうですね。水泳を始めたきっかけは何ですか?
保育園の時からプールで楽しそうに遊んでいたそうで、小学校入学を機に、僕を育ててくれた祖母の勧めで水泳教室に通い始めたのがきっかけです。
――ずっと水泳一筋でやってきたんですか?
小学校の時は、学校の部活動で水泳部とブラスバンド部を掛け持ちしていました。夏は水泳、それ以外は吹奏楽というような。吹奏楽ではホルンを吹いていました。12歳から15歳までの中学校3年間は、吹奏楽に夢中になり、この間、水泳は体育の授業で泳ぐ程度でした。
――そして、また水泳に戻ってきたんですね。
もともとスポーツが好きだったんですよね。高校の体育の授業などではバスケットボールもやるし、フットサルも、テニスもやるしっていう感じで。高校では、部活には入らないでスイミングスクールに通っていました。それから本格的に水泳を始めました。
――水泳の何が面白かったのですか?
いろいろな大会に出るようになって、いい結果が出るとうれしくて。「次も頑張ろう」という気持ちで臨んでいくうちに、実績を残すようになりました。04年アテネの前年に、アジアの20歳未満の選手が出場する大会で、100メートル自由形で優勝したことが大きかったですね。
「ここ1、2年は苦しんでいるところ」
北京パラリンピックの2年後の世界選手権では、50メートル平泳ぎで2位となり、当時の世界ランキング1位の座もライバルに明け渡した。実は、それから現在に至るまで、原因不明のスランプに陥っているという。ロンドンで勝つための答えを探す、我慢の日々が続いている。
――2010年のオランダの世界選手権では、優勝が期待された50メートル平泳ぎで、スペインのルケ・ミゲール選手に次ぐ2位でした。どんなレースでしたか?
僕のタイムが49秒8で、彼が49秒2。彼がこのタイムで泳いでくるという想定をしていませんでした。決勝では、49秒を出せば負けないだろうと思っていたんですが。
――ご自身の泳ぎとしては満足のいくレースでしたか?
実は、大会の2カ月くらい前に左手首を捻挫してしまったんです。治療はしていたんですが、予選レースが終わった後にダウンもろくにできないくらい痛くなってしまって。決勝も、直前の調整がしっかりできていなかったのがそのまま泳ぎに出てしまいました。前半はまあまあいいタイムで泳げていたんですが、後半持たなかったですね。
――今年7月の「ジャパンパラ水泳競技大会」では、タイムも含め、泳ぎに納得されていない様子がうかがえましたが。
そうなんです。実は、10年の世界選手権が終わってからのこの1、2年が、一番タイムが出ていないんです。50メートル平泳ぎに関しては、50秒が切れない。それまでは1種目で何年かタイムが出ないことはあっても他の種目ではベストが出ていたんです。だからそんなに気にしてなかったんですが、ここ1、2年はタイムも惜しいどころか想定からかけ離れることが多いので、苦しんでいるところですね。
――不調の原因ははっきりしているのですか?
多分、タイムが出なくなったのが先だと思うんですけど、それで気持ちがなかなか乗ってこなかったということかなと思います。
フォーム修正でタイム改善へ
――今、取り組んでいることは?
フォームの修正ですね。具体的には、入水をして腕を伸ばして水をキャッチする力が弱かったので、しっかりとかいて推進力を上げる泳ぎに取り組んでいます。健常の選手のように大きくかきすぎると、僕の場合はキックがないので戻すリカバリーのところで大きな抵抗を受けてしまうんです。だから、そこの抵抗をなるべく少なくするために、少し前でかく感じですね。引きつけ過ぎない。そうするとリカバリーの時間も短くなりますし、体重の移動も身体が立たなくなるので、しやすいであろうということでやっています。ただ、もうちょっと早くタイムに表れると思ったんですが、思いのほか時間がかかってしまっているというところですね。
――その中で、何か手応えはありましたか?
当初は、かく回数を減らしてスピードが出れば、後半の落ちも減るだろうと考えてやったんですが、結局かき数は同じくらいか、むしろ2?3かきは増えていますね。ただ、後半の泳ぎは以前よりは良くなってきているんです。もともと速かった前半で力が出せなくてタイムロスしていることは分かっているので、あとはここをしっかり調整していきたいですね。
――新しいフォームが自分のものになれば、また世界が広がるのではないでしょうか。
たぶんまだ無駄なところに力が入っていて、意識をしながら泳いでいることころがあるんですよね。それがフォームを意識せずにダッシュできるようになると、余分な力は抜けて、必要なところだけ入るという泳ぎになると思います。あとは泳ぎ込みが必要ですが、量を泳ぐというよりは、ダッシュや飛び込みとかを積み重ねていって、探っていくところだと今は思っています。それでピッタリなところを見つけられればいいなと。
――フォーム修正の延長で、これまではあまり使っていなかった肩や背中の筋肉を強化していると聞きました。
肩はもう少し可動域を広げるために取り組んでいて、それはだいぶできたところです。あとは、僕は腕の力だけで泳ぐんですが、トレーナーさんが言うには、腕や手はパワーを出すよりも位置などをコントロールすることが大事とのことで、腕につながっている大もとの背中の筋肉から鍛えることで、ブレない泳ぎにつなげたいと思っています。今は下半身の体幹を意識したトレーニングもしています。それと、普段は車椅子で生活しているため、お尻や足の筋力が弱いのでそこを鍛えるようにしています。いつも腰に負担がかかってしまうので、それを軽減できればな、というところですね。厳しい中でも前向きに取り組めるようになったのは、この4年間の成長だと思いますね。
ロンドンでは「いろいろ狙っていこうと思っています」
ロンドンパラリンピックでは、50メートル自由形・平泳ぎ・バタフライ、150メートル個人メドレー、100メートル自由形の5種目にエントリーする。また、北京に続いて競泳陣のキャプテンとしてチームを引っ張る。3回目となる世界最高の舞台。鈴木がロンドンに懸ける思いとは。
――50メートル平泳ぎでは、前回王者としてのレースに世界が注目しています。プレッシャーはありますか?
2年前の世界選手権で負けてからは、チャンピオンという意識はないですね。
――メーン種目のひとつである150メートル個人メドレーはどんなレースを?
背泳ぎは頑張って周りについていって、平泳ぎと自由形で追い上げるというパターンですね。でも、いつも泳ぎながら思っているんですが、最後が本当に苦しくて……。あんまり好きな種目ではないんです(笑)。
――この種目で金メダルを取るためのポイントとなるものは?
背泳ぎでもう少しタイムを上げることが必要ですね。僕は他の2種目は割と上位の選手たちと同じくらいのタイムで入るんですけど、背泳ぎが圧倒的に遅いんです。(優勝候補で世界記録保持者の)ニュージーランドのキャメロン・レスリーは背泳ぎが一番速いんですが、逆に彼は平泳ぎが遅いので、平泳ぎで詰めて自由形勝負という展開になると思います。後半に踏ん張る力をもう少しつけたいです。
――他の種目に関してはどうですか?
最終日にある100メートル自由形も頑張りたいです。世界ランキング的には10位前後なんですが、アテネでも北京でもなんとか決勝には出られているので、もう一回決勝に出たいですね。100メートル自由形は花形ですし、しかも最終日なので思い残すことなくやりたいと思います。
――どの障害のクラスも世界レベルが上がっていると聞いています。鈴木選手のクラスはどうですか?
メダル圏内にはまだ入ってきていませんが、若手が出てきていますね。特に、自由形はすごく選手層が厚くなりました。大きな国際大会ではだいたい予選2組くらいになるような参加標準記録の設定がされているんですけど、世界選手権では3組あったので驚きました。北京からの4年間で、選手層はだいぶ変わりましたね。
――前回に引き続き、ロンドンでも日本競泳チームのキャプテンを務めます。
北京の時はキャプテンとしてのプレッシャーがありました。水泳はアテネで23個ものメダルを取ったのに、北京ですごく減ってしまって。初めてのキャプテンで成績が振るわなかったのが残念でした。今回は余裕があるわけではないですが、プレッシャーはさほどありません。雰囲気作りとかはチームでできることなので、そういうのがより良くなればいいなと思います。もともとにぎやかで明るい集団なんですよ。ときどき男子選手が元気すぎるので、それを抑えるのが私の役目です(笑)。
――最後に、ロンドンでこういう姿を見てほしいという思いがあれば教えてください。
いい意味でしたたかに、いろいろ狙っていこうと思っています。よりメディアにも出られるように、なんとかメダルを取りたいです。常々、障害者と健常者の区別がなくなる世界が来ることを願っています。そういう意味では、パラリンピックが五輪に近づいて、同じ価値のあるものとしてみなさんに見てもらえることが、ひとつのステップになると思っています。それを、自分なりに表現する。そんな泳ぎができればいいなと思っています。
※この記事は、8月22日〜9月19日の期間中、「YAHOO! JAPAN ロンドンオリンピック・パラリンピック日本代表応援キャンペーン」特設サイトで掲載されたものです。
(取材・文/荒木美晴、撮影/吉村もと)