車いすテニス界の「女王」がまたひとつ、歴史を塗り替えた。9月7日、女子シングルス決勝で第1シードのエスター・バーガー(オランダ)が第2シードのアニーク・ヴァンクート(オランダ)を6-0、6-3で破って優勝。パラリンピック4連覇の偉業を達成したと同時に、これまでの連勝記録を「470」に更新した。
2003年からただの一度も負けていない、車いすテニス界の絶対的なクイーン。いつもコートの上ではあまり感情を出さず、クールな表情で淡々とプレーする。それが、バーガーの印象だ。今日の決勝という大舞台でも、彼女はいつもと変わらないように見えた。とはいえ、バーガーにとっても「いつだって、パラリンピックは格別」。他の選手と同様に、いやディフェンディングチャンピオンとしてそれ以上に大きな何かと戦っていたであろうことは容易に想像できる。
表彰台の真ん中で金色に輝くメダルを手にした時、そしてオランダの国旗がセンターポールに掲げられた時、彼女は大粒の涙をこぼした。
「北京のあと、メンタルを保ち続けるのがとても難しかった。たぶん、今までで一番。四六時中テニスのことを考えていたから、プレッシャーにつぶされそうだった」
世界一に君臨する絶対的存在
オランダ・ユトレヒト出身。8歳の時に脊髄近くの血管からの出血で大手術をしたが対麻痺が残った。リハビリとして始めたバレーボールや車椅子バスケットボールと並んで、12歳から車いすテニスを習った。1998年には車いすテニスだけに絞り、本格的に競技をスタート。同年のUSオープンで優勝し、世界ランキングは15位から2位にジャンプアップした。そして、翌99年から現在に至るまで、世界ランキング1位の座を守り続けている。
今年3月30日から4月3日にかけて行われたペンサコーラ・オープン(アメリカ)の決勝では、今日の決勝でも対戦したヴァンクートに1セットを奪われた。結局はしっかり勝利しているのだが、それでもオランダではニュースになったほど。彼女が別格の強さであることを物語っている。
一方、ロンドンで今度こそ“エスターに土をつけることができるか”と期待されたヴァンクート。今日は第1セットこそラブゲームだったが、第2セットで逆襲。前に出てくるバーガーに対して矢のようなクロスのショットを打ち抜いてリズムを得ると、0-4から2ゲームを連取し、第8ゲームも奪った。だが、バーガーは動じなかった。形勢不利な場面でも華麗なチェアーワークでボールに追いつき、一打で波を引き寄せるスーパーショットを連発。しぶとく粘るヴァンクートを突き放した。
試合後、ヴァンクートは報道陣にこう話した。
「第1セットは私の望み通りに進まなかったけど、第2セットは少しは不安を抑え込めて嬉しかった。まさかエスターが負けるわけないと思っていたでしょ? 銀もいいけど、私はいつの日か金を手に入れる。ハードルを上げて、次回の私の目標は金メダルを取ることよ」
どんなスポーツでも、チャンピオンの陰にはリベンジに燃えるライバルの存在がいるものだ。
子ども対象のテニスクリニックも主催
バーガーはプロの車いすテニス選手として活動するする傍ら、26歳の時に自身の財団“ハンズアップ”を創設した。車いすテニスのクリニック開催と、障害を持つ子どもたちにスポーツの機会と自信を与えるのが目的だ。
彼女自身、8歳で手術を受けた後、ひとりでは服も着られず、シャワーも浴びることができないという事実に直面した。それが、スポーツを始めると肉体的にだけではなく精神的にも強くなっていった。
「私は、スポーツを始めた時にどんなに嬉しかったかを覚えてる。スポーツが子どもたちに新しい道を拓き、自信をもたらすということを伝えられたらって思うわ」
今、31歳。20代のころに焦点を当ててきたラリーなど技術の向上より、戦略的なゲーム展開を身につける練習にスイッチしているという。試合後の記者会見でロンドン後について尋ねられると、「私も長い間、何度もそれを考えてきたけれど、継続するか引退するか、正直なところまだ決められない」と明言を避けた。
明日の最終日には、ダブルスの決勝戦に挑む。バーガーは、ダブルスでもシドニー、アテネで優勝、北京で銀メダルを獲得している。そのメダルコレクションに、一番きれいな色のメダルをもう一個加えることができるか。その戦いに注目したい。
(取材・文/荒木美晴、訳・加々美美彩)