ソチパラリンピックが近づいてきた。五輪のあと、来年3月7日に開幕する。アルペンスキー、バイアスロン、クロスカントリースキー、アイススレッジホッケー、車いすカーリングの5種目が実施される。
1998年の長野パラリンピックから取材をしているアイススレッジホッケーに注目している。日本代表は4年前のバンクーバーで、優勝候補の地元・カナダを準決勝で破り、見事銀メダルを獲得した。体格やパワーで劣っても、徹底した戦略と組織力があれば、勝つことができる。アイススレッジホッケーの醍醐味に触れ、魂を揺さぶられたあの感動は、私の心に深く刻み込まれた。
バンクーバーの結果からして、ソチでも当然、メダルが期待される。だが実は、現段階で日本はまだパラリンピックの出場権を獲得していない。今、かつてない危機に直面しているのだ。
日本代表低迷の理由
ソチパラリンピックの出場枠は「8」。そのうち「5」枠が、2013年の世界選手権で決まるとされていた。だから当然、日本も「この大会で4位以内を死守、最低でも5位までに入る」ことを目標に据えていた。ところが、である。日本はその時を迎える前に、まさかの失速をしてしまったのだ。
前のシーズンの12年の世界選手権Aプール(ノルウェー)で、日本は8カ国中7位という結果に。翌シーズンはBプールに降格することになった。つまり、“パラでメダルを獲る上で大切な大会”と位置づけていた今年のAプールの選手権(韓国)には出られず、パラの出場権どころか、これまでともに頂点を争ってきたライバルチームと同じリンクにすら立てなかったのである。
この時の敗因はいくつかある。試合を前にして選手間の話し合いの機会が十分でなく、そのコミュニケーション不足がプレーに表れた。攻守のバランスが崩れ、相手に主導権を握られる場面が目立った。どこかで「銀メダルチーム」の“自信”が“慢心”に変化してしまったように感じた。
今、将来を期待される新人選手も奮闘しているが、一方でこの大会後にチームを離脱する主力選手もいて、もともと深刻だった選手不足という問題の解決には至っていない。これまで少ないセットで戦略的にホッケーに取り組んできただけに、一度崩れた組織力の再生がいかに難しいか、より痛感させられる。
新チームとなり、復活のきっかけを探ろうと挑んだ昨年秋のカナダ、今年2月のイタリアへの海外遠征では全敗。イタリアでは、現地に入ってから中北浩仁監督の采配で、ディフェンスながら高い得点力を併せ持つ須藤悟・三澤英司(ともに北海道ベアーズ)をフォワードにコンバートするなど、新たな取り組みに挑戦したことは前進への起爆剤となったが、この時点では“世界”との間に大きく差がついている事実を認めざるを得なかった。
(取材・文/荒木美晴、撮影/吉村もと)
★追い込まれた日本代表、今後はいかに!?
続きは「【Writer’s eye】逆襲のシナリオ 〜ソチへのラストチャンス(後編)〜」で。
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