Writer's eye, 陸上 — 2017/7/15 土曜日 at 18:03:15

【Writer’s eye】孤高のジャンパー・澤田優蘭がたどり着いた新たなステージ

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筋力やフォームを見直し、さらなる高みをめざす澤田=2017年関東パラ陸上競技選手権大会(撮影/佐山篤)
筋力やフォームを見直し、さらなる高みをめざす澤田=2017年関東パラ陸上競技選手権大会(撮影/佐山篤)

競技歴2年目で出場した北京パラリンピック

9年前の北京パリンピック。陸上競技の会場である“鳥の巣”で、17歳の少女は世界に挑もうとしていた。

女子視覚障がいの100m(T13)と走幅跳(T13)に出場した、澤田優蘭。歓声がこだまする独特の雰囲気に気圧されながらも、走幅跳では自己ベストを30㎝ほど更新する4m93をマーク。世界最高峰の舞台で力を出し切り、9位の成績をおさめた。

澤田が陸上を始めたのは、前年の2007年のこと。初めて出場した国際大会が、この北京パラリンピックだったという。競技歴2年目のパラリピアンとして話題となり、一躍、注目を集めるようになった。だが、本人はいたって冷静に現実を捉えていた。「トップ選手と比べると、競技者として未熟でした。彼女たちと対等に戦えるようにならないといけない、と世界と自分の差を痛感した瞬間でした」

高校2年で得たその貴重な経験は、成長への足掛かりとなる。翌年の09年、旗手の大役を担ったアジアユースパラゲームズ(東京)では100m、200m、走幅跳で優勝。10年の広州アジアパラ競技大会、11年の視覚障がい者の大会・IBSA世界選手権大会ではそれぞれ100mを制するなど、大きく飛躍を遂げていった。

セカンドキャリアを考え、競技から離れる決断

その一方で、澤田はもうひとつの目標を掲げていた。それは、「大学卒業後はまずは就職して社会人として働く」ということだ。

取材当日、にこやかな表情で取材に応えてくれた澤田選手(撮影/荒木美晴)
取材当日、にこやかな表情で取材に応えてくれた澤田選手(撮影/荒木美晴)

陸上は続けるつもりだが、「将来的に競技者としては必ず終わりがきます。だから、競技者以外の自分もしっかりイメージしないといけないなと、当初から考えていました」。セカンドキャリアのビジョンを描くなかで、澤田は清涼飲料水メーカーに就職。フルタイムで働きながら、仕事のあとに練習に取り組むという選択をした。

実はこの決断の背景には、他にも理由もあった。澤田は6歳のころから網膜色素変性症の影響で視野狭窄がある。左右はぼんやりと見えるが、正面がほぼ見えない澤田は、トラックのコースの実線が判別しにくく、つい外側のレーンに入ってしまう。走幅跳も肝心な踏切版が見えにくい。これまでは、視覚障がいの区分の中では一番障がいが軽い「T13」というクラスだったが、「だんだん見づらさが増していって、また走幅跳ではこのクラスがパラリンピックなどで実施されなくなったり、競技者としてどうしたいのか、どこに目標を持っていけばよいのか悩むようになりました。こんなモヤッとした状態ではアスリート雇用は無理だと思い、通常の就職を選んだんです」

だが、決して陸上への情熱が失われたわけではなく、競技から離れている間は「自分に足りないものを見つめなおす時間」と前向きに捉えた。「またやりたい」と思ったのは、仕事にも慣れてきた社会人2年目のこと。2014年にインチョンアジアパラ競技大会が開催され、同世代の義足の高桑早生(エイベックス)や同じ視覚障がいの佐藤智美(東邦銀行)らの活躍を見て、大きな刺激を受けたという。そして、デスクワークで落ちた陸上の筋力をつけるべく、体力づくりからスタートしていった。

大きな岐路となったクラス変更と転職

関東パラ練習時のひとこま。T12で介助がつくようになってから「安心して練習できるようになった」と澤田
関東パラ練習時のひとこま。T12で介助がつくようになってから「安心して練習できるようになった」と澤田

翌年の関東パラ陸上競技選手権大会から選手に復帰した澤田は、リスタートを切るにあたり、クラシフィケーション(クラス分け)を受け、今度は「T12」に認められた。このクラスは、例えば走幅跳の場合は助走方向や踏切地点を知らせるためにガイドによる声などの援助が認められ、また踏切板の奥行が「1m」とT13よりも広く取られている。これは澤田にとって、復帰の後押しになった。「もちろん、踏切板が変われば練習の仕方が変わるのでさらなる努力が必要です。でも、これまでは一人で見えないから怖くてできなかったアップも介助があることで安心してできるようになりましたし、“障がいによって集中できない”ということがなくなったのは本当に大きな意味があります」と笑顔を見せる。

また、転職にも挑戦し、今年6月1日からはアパレル大手のマッシュホールディングスのグループ会社「マッシュスポーツラボ」に入社。練習に集中できる環境に身を置く。アスリート雇用は澤田が第一号となるが、社内イベントなどを通じて、澤田やパラスポーツに対する周囲の関心が高まっているという。「サポートしてくださる方たちのためにも成績を出したい。きちんと役割を果たしたいと思いますね」

現在は、メイン種目の走幅跳に必要な上半身と体幹を鍛え、走力トレーニングにも力を入れる。昨年の日本選手権では4m94の日本記録を樹立。さらに今年6月の日本選手権ではその記録を9㎝上回る5m03を跳び、日本記録を更新するなど順調に調子を上げている。

今後の最大の目標は、“陸上人生の集大成”と定める2020年東京パラリンピックだ。そこにピークを持っていくために、まずはコンスタントに5mを跳び、来年のアジアパラ競技大会(インドネシア)でアジアレコード(5m54)更新を狙う。今後は100mにもエントリーする予定で、今年10月の全国障害者スポーツ大会(愛媛)では初めて伴走者と100mを走るつもりだという。

さまざまな葛藤と決断を経て、新たなステージへの道を切り開いた澤田。さらなる高みをめざして再び羽ばたきだした彼女の挑戦に、これからも注目していきたい。

【採用担当者の声】
株式会社マッシュスポーツラボ 鈴木努代表取締役社長

マッシュグループは、「ウェルネスデザイン」をコーポレートスローガンとして掲げており、社内でもスポーツへの意識が高まっています。そんななか、澤田選手と出会う機会がありました。真摯に世界に挑戦する澤田選手の姿に共感し、アスリートとして、また一人の女性としてサポートしたいという想いから採用に至りました。社員がランニングやヨガに取り組む「ウェルネスウェンズデー」で澤田選手を紹介してからは、「優蘭さんと一緒に走りたい」と、伴走者の講習を受けた社員もいるなど、社員のパラスポーツの認識に変化が出てきました。澤田選手の競技生活のバックアップを通して、社員の一体感、またパラスポーツの盛り上がりにさらに貢献したいと考えています。

※取材協力:株式会社ゼネラルパートナーズ

(取材・文/荒木美晴、撮影/佐山篤)